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1998年(平成10年)

平成9年横審第111号
    件名
貨物船第三十三浅川丸漁船文寿丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年10月2日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

西村敏和、半間俊士、長浜義昭
    理事官
長谷川峯清

    受審人
A 職名:第三十三浅川丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:第三十三浅川丸一等航海士 海技免状:四級海技士(航海)
C 職名:文寿丸甲板員 海技免状:一級小型船舶操縦士(5トン限定)
    指定海難関係人

    損害
浅川丸…左舷中央部に凹損
文寿丸…船首部に破口を伴う損傷

    原因
文寿丸…狭視界時の航法(レーダー、速力、信号)不遵守(主因)
浅川丸…狭視界時の航法(速力)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、文寿丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことによって発生したが、第三十三浅川丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことも一因をなすものである。
受審人Cを戒告する。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年5月16日13時50分
三重県大王埼南方沖合
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第三十三浅川丸 漁船文寿丸
総トン数 499トン 14.87トン
金長 66.52メートル 17.30メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット
漁船法馬力数 130
3 事実の経過
第三十三浅川丸(以下「浅川丸」という。)は、液体化学薬品のばら積運送に従事する船尾船橋型の鋼製貨物船で、A及びB両受審人ほか3人が乗り組み、空倉のまま、船首1.80メートル船尾3.30メートルの喫水をもって、平成9年5月15日19時50分千葉県千葉巷を発し、岡山県水島港に向かった。
A受審人は、船橋当直を自らが0時から6時まで、B受審人が6時から12時までの単独6時間2直制とし、翌16日11時30分大王埼灯台から076度(真方位、以下同じ。)12.5海里の地点において、針路を228度に定め、機関を回転数毎分340の全速力前進にかけ、11.0ノットの対地速力で、自動操舵により進行し、このころ視程は3海里あったものの、時折濃い霧によって視界が狭められる状態であったので、B受審人と船橋当直を交替するに際し、レーダーを活用し注意して航行するよう指示して降橋した。
12時ごろA受審人は、昼食を終えて再び昇橋したところ、視界が更に悪くなっていたので、法定の灯火を表示してそのまま在橋し、12時30分大王埼灯台から138度5.7海里の地点において、霧のため視程が200メートルに狭まり、視界制限状態となったので、機関回転数を少し下げて10.5ノットの対地速力に減じたが、霧中信号を行うことも、安全な速力とすることも指示せずに、13時00分大王埼灯台から181度8.0海里の地点に達して、他船と危険な状況となるようであれば警告があるものと思い、B受審人に対し、霧が更に濃くなるかも知れないので注意するようにとだけ指示し、用便に行くと告げて降橋した。
B受審人は、間もなく機関室の見回りを終えて昇橋した機関長を見張りに就け、自ら3海里レンジとしたレーダーで見張りを行いながら進行し、13時38分大王埼灯台から203度13.3海里の地点において、左舷船首10度2.4海里から3.0海里にかけて数隻の小型漁船群らしいレーダー映像を、更に同映像から約1海里離れた左舷船首34度2.7海里のところに文寿丸の映像をそれぞれ探知したので、霧中信号を開始し、機関を回転数毎分270の半速力前進として6.0ノットの対地速力に減じたうえで、先行する漁船群の映像にカーソルを当てて動静を監視したところ、同漁船群の映像が右方に変化し、いずれも自船の船首方向を無難に航過することを知り、次いでその後方の文寿丸の映像にカーソルを当て、その動静を監視しながら自ら手動操舵に就いて続航した。
13時43分B受審人は、大王埼灯台から204度13.8海里の地点において、1.5海里レンジに切り換えたレーダーで、左舷船首33度1.4海里のところに文寿丸の映像を認め、同映像がわずかに右方に変化していたものの、同時45分には1海里に接近し、減速したのちも同船と著しく接近することを避けることができない状況となったことを知ったが、そのうち減速した効果が現われ、先行した漁船群と同様に文寿丸も船首方向を無難に航過するものと軽く考え、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、また、必要に応じて行きあしを止めることもせずに、機関長に左舷前方から接近中の文寿丸を発見するよう指示しただけで、A受審人にその状況を報告しないまま続航した。
13時49分少し過ぎB受審人は、左舷船首31度200メートルのところに文寿丸を視認し、急いで右舵一杯、全速力後進としたが、及ばず、13時50分大王埼灯台から205度144海里の地点において、浅川丸は、250度を向いて2.0ノットの対地速力となったとき、その左舷中央部に、文寿丸の船首が前方から76度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風力1の東風が吹き、視程は200メートルであった。
A受審人は、しばらくサロンでテレビを見たのち、用便中に衝撃を感じて直ちに昇橋し、事後の措置に当たった。
また、文寿丸は、船首張出甲板に散水装置を設けたかつお曳縄漁業に従事するFRP製漁船で、C受審人及びD指定海難関係人が乗り組み、操業の目的で、船首0.60メートル船尾1.10メートルの喫水をもって、同月16日01時三重県浜島漁港を発し、同県大王埼南方約20海里の漁場に向かった。
文寿丸は船体中央部に操舵室及びその上層に上部操舵室を設け、操舵室には、操舵装置や主機遠隔操縦装置のほかレーダーやGPSプロッターなどが装備され、上部操舵室には、操舵装置や主機遠隔操縦装置が装備されていたものの、レーダーなどはなく、切り換えによって上下いずれかで操船できるようになっていたが、操舵室からは、船首張出甲板により大きな船首死角が生じて、船首方向の見張りを十分に行うことができないので、漁場との往復の際は、上部操舵室でC受審人とD指定海難関係人が交互に操船に当たり、視界制限時には、D指定海難関係人が上部操舵室で操船に当たり、C受審人が操舵室でレーダー見張りを行うことにしており、C受審人は、総トン数が5トンを超える同船の船長として乗り組む資格を有していないものの、これまで一級小型船舶操縦士の免許を有するD指定海難関係人とともに長年同船で漁業に従事していたので、同船の操船については、十分な経験を有していた。
ところで、D指定海難関係人は、数年前から、連続操業による睡眠不足や過労によって体調を崩すことがあり、医師の診療を受けていたので、実務上の船長職をC受審人に譲り、有資格者が乗り組む必要上から船長として乗り組んでいたところ、同年5月に入って天候にも恵まれ、疲労は感じていたものの、特段体調も悪くなかったことから連日のように出漁し、毎日、1時に出航して17時に帰航する操業形態を繰り返していた。
04時30分D指定海難関係人は、漁場に到着して操業準備に取りかかり、夜明けを待って両舷側及び船尾から10本の曳縄を出して操業を開始し、上部操舵室で操船及び漁具などの監視に当たり、適宜の針路及び7.0ノットの対地速力で魚群を追いかけながら縄を曳いていたところ、10時ごろ急に体調が悪くなり、C受審人に操舵室下の船室で休む旨を告げ、以後の操業を同人に委ねて降橋した。
こうして、C受審人は、かつおなど約300キログラムを漁獲したところで操業を終え、13時20分大王埼灯台から197度18.7海里の地点を発進し、針路を御座岬に向く354度に定め、機関を回転数毎分1500として10.0ノットの対地速力で、周辺で操業していた僚船とともに浜島漁港に向けて帰途に就き、このころ視程が4ないし5海里あったので、上部操舵室でいすに腰を掛け、自動操舵により進行した。
13時38分C受審人は、大王埼灯台から202度15.8海里の地点に達したころから、視界が急に悪くなって視程が200メートルに狭まり、視界制限状態となったものの、操業中に表示する黄色回転灯を点灯しただけで法定の灯火を表示せず、霧中信号を行わず、安全な速力に減じないまま、他船を視認してからでも避航は十分できるものと思い、レーダーを起動してレーダー見張りを行うこともなく、目視による見張りに頼って続航した。
13時45分C受審人は、大王埼灯台から204度15.0海里の地点において、右舷船首21度1.0海里のところに浅川丸が存在し、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、レーダーによる見張りを行っていなかったので、このことに気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、また必要に応じて行きあしを止めることもせずに進行した。
13時47分C受審人は、大王埼灯台から204度14.7海里の地点に至って、更に霧が濃くなる気配に不安を感じ、機関回転数毎分900として7.0ノットの対地速力に減じたうえで、レーダーを起動するため操舵室に降りたが、レーダーによって周囲の状況が確認できるまで、行きあしを止める措置をとらず、レーダーを起動したのち、上部操舵室に戻って操船に当たり、浅川丸と衝突のおそれがある状況であったことに気付かないまま続航中、再び操舵室に降りてレーダー映像を表示しようとしたとき、文寿丸は、原針路、原速力のまま前示のとおり衝突した。
船室で休んでいたD指定海難関係人は、衝撃を感じたが体調不良のため起きあがって確認することができなかった。
衝突の結果、浅川丸は、左舷中央部に凹損などを生じ、文寿丸は、船首部に破口を伴う損傷を生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、両船が霧による視界制限状態の熊野灘を航行中、北行中の文寿丸が、霧中信号を行わなかったばかりか、レーダーを起動せず、見張り不十分で、浅川丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて行きあしを止めなかったことによって発生したが、西行中の浅川丸が、減速したのちもレーダーで探知した文寿丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、また、必要に応じて行きあしを止めなかったことも一因をなすものである。
浅川丸の運航が適切でなかったのは、視界制限状態であることを知っていた船長が自ら操船の指揮をとらなかったことと、船橋当直者の視界制限状態における措置が適切でなかったこととによるものである。

(受審人等の所為)
C受審人は、船長が体調不良により操船を指揮することができなくなった状況下、自ら操船して熊野灘を北行中、視界制限状態となった場合、接近する他船を見落とさないよう、レーダーを有効に活用して見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかしながら、同人は、他船を視認してからでも避航は十分できるものと思い、レーダーによる見張りを行わなかった職務上の過失により、浅川丸が接近していることに気付かず、そのまま進行して衝突を招き、文寿丸の船首部に破口を伴う損傷を生じ、浅川丸の左舷中央部に凹損などを生じさせるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人は、熊野灘を航行中、視界制限状態になった場合、自ら操船を指揮すべき注意義務があった。しかしながら、同人は、他船と危険な状況となるようであれば船橋当直者から報告があると思い、自ら操船を指揮しなかった職務上の過失により、視界制限状態における船橋当直者の不適切な措置のまま続航して衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、視界制限状態の熊野灘を西行中、レーダーで左舷船首方向に文寿丸の映像を探知し、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったったことを知った場合、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを止めるべき注意義務があった。しかしながら、同人は、自船は減速したので、そのうち減速した効果が現われ、文寿丸が船首方向を無難に航過するものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを止めなかった職務上の過失により、そのまま進行して衝突を招き、前示のとおり損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
D指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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