日本財団 図書館




1998年(平成10年)

平成10年横審第13号
    件名
貨物船新栄丸貨物船アカデミック・セミノフ衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年12月18日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

勝又三郎、半間俊士、西村敏和
    理事官
長谷川峯清

    受審人
A 職名:新栄丸船長 海技免状:五級海技士(航海)(履歴限定)
C 職名:アカデミック・セミノフ水先人 水先免状:横須賀水先区
    指定海難関係人

    損害
新栄丸…船首に破口を伴う圧壊
ア号…右舷船首に破口を伴う凹傷

    原因
ア号…横切りの航法(避航動作)不遵守(主因)
新栄丸…動静監視不十分、警告信号不履行、横切りの航法(協力動作)不遵守(一因)

    二審請求者
受審人C、補佐人鈴木健

    主文
本件衝突は、アカデミック・セミノフが、前路を左方に横切る新栄丸の進路を避ける措置が遅きに失したことによって発生したが、新栄丸が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Cを戒告する。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年8月30日17時29分
京浜港川崎区(東扇島)沖合
2 船舶の要目
船種船名 貨物船新栄丸 貨物船アカデミック・セミノフ
総トン数 199トン 10,948トン
全長 57.49メートル 151.30メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 661キロワット 5,703キロワット
3 事実の経過
新栄丸は、主に鋼材輸送に従事する、船尾船橋型の鋼製貨物船で、A受審人及び甲種甲板部航海当直部員の認定を受けたB指定海難関係人ほか1人が乗り組み、空倉のまま、海水バラスト200トンを載せ、船首1.5メートル船尾3.1メートルの喫水をもって、平成9年8月30日15時50分(日本標準時、以下特記するもの以外は同標準時による。)千葉港葛南区を発し、大阪港に向かった。
A受審人は、発航後、単独で船橋当直に従事し、16時05分ごろ機関を回転数毎分350の全速力前進にかけて11.1ノットの対地速力とし、17時05分ごろ東京湾横断道路川崎人工島(以下「川崎人工島」という。)北東方1.3海里の地点において、昇橋してきたB指定海難関係人と船橋当直を交代することとしたものの、同人が船舶の輻輳(ふくそう)する東京湾で単独の船橋当直の経験がなく、一緒に乗り合わせてから4日目で、航法の判断についてどの程度の技量か分らない状況であったが、同人が甲種甲板部航海当直部員の認定を受けていたことから、単独の船橋当直を委(ゆだ)ねても大丈夫と思い、当直中見張りに専念すること、接近する他船があれば報告することなど、当直中の遵守事項を具体的に指示することなく、単によろしく頼むと告げたのみで同人に当直を委ね、夕食をとることとして降橋した。
単独で船橋当直に就いたB指定海難関係人は、川崎人工島を右舷側近くに見て航過し、そのころ自船の船首を右方から左方に横切る態勢の旅客船を右舵を取って替わしたのち、17時13分半川崎東扇島防波堤西灯台(以下「防波堤西灯台」という。)から084度(真方位、以下同じ。)3.8海里の地点に達したとき、針路を233度に定め、折からの微弱な潮流により右方に3度圧流されながら、同速力で自動操舵によって進行した。
定針したころ、B指定海難関係人は、左舷船首14度4.1海塁のところに、中ノ瀬航路を出て北上する赤色の船体のアカデミック・セミノフ(以下「ア号」という。)の右舷側を初めて視認したが、A受審人に報告しないまま続航した。
しばらくしてB指定海難関係人は、船橋内後部の海図台に向かって後方を向き、航海日誌の整理を始め、航行する船舶はア号しか認めなかったことから、そのうち同船が自船の進路を避けてくれるものと思い、ときおり前路を一べつしたものの、ア号のことを気にとめず、同船に対する動静監視を十分に行わずに進行し、17時21分少し前防波堤西灯台から098度2.8海里の地点に達したとき、同船が左舷船首11度2.0海里に接近し、その後明確な方位の変化のないまま衝突のおそれがある態勢で互いに接近していたが、警告信号を行うことことも、同船と間近に接近したとき大幅に右転をするなど衝突を避けるための協力動作をとることもしないまま続航中、17時29分防波堤西灯台から130度1.9海里の地点において、原針路、原速力のまま、新栄丸の船首に、ア号の右舷船首が前方から46度の角度で衝突した。
当時、天候は曇で風力2の南風が吹き、潮候は下げ潮の初期で、付近海域には微弱な西流があった。
A受審人は、衝撃で衝突したことを知り、直ちに昇橋して事後の措置に当たった。
また、ア号は、船首から船橋までの距離が114メートルの、船尾船橋型ケミカルタンカーで、船長Dほか25人が乗り組み、モノエチレングリコール及びカノーラオイル約16,331トンを積載し、同月15日09時20分(現地時間)カナダバンクーバー港を発し、京浜港川崎区に向かった。
越えて同月30日15時43分、C受審人は、浦賀水道航路南方の水先人乗船地点において、船首尾とも9.3メートルの等喫水のア号に乗船し、D船長の指揮のもと、航海士を見張りに、甲板手を手動操舵に就け、ア号の嚮導(きょうどう)を開始し、同時55分同航路に入航して北上し、16時42分半中ノ瀬航路に至り、同時52分ごろ機関をスタンバイ状態として航行した。
17時05分C受審人は、防波堤西灯台から165度4.5海里の、中ノ瀬航路を出たところで、針路を009度に定め、機関を港内全速力前進にかけ、10.8ノットの対地速力で進行した。
17時09分少し前C受審人は、防波堤西灯台から161度3.9海里の地点に達したとき、東燃扇島シーバースの南方1.5海里の指定錨地KLに向かうため、針路を007度に転じ、折からの微弱な潮流により2度左方に圧流されながら続航し、同時15分機関を極微速力前進に下げ、同時21分少し前防波堤西灯台から142度2.3海里の地点に達したとき、右舷船首35度2.0海里のところに南下する新栄丸を初認し、その後同船が前路を左方に横切り、明確に方位の変化のないまま衝突のおそれがある態勢で互いに接近しているのを認めたが、自船は速力を減じて錨泊予定地点に向かっているのであるから、新栄丸が自船の前路を替わして行くものと思い、同一針路のまま進行した。
17時25分少し前C受審人は、ほぼ同方位1.0海里に接近した新栄丸を認めたが、依然同船が自船の前路を替わして行くものと思い、直ちに機関を後進にかけるなど新栄丸の進路を避ける措置を取らずに続航し、同時25分対地速力が4.0ノットになったとき、投錨準備ができたことを知らされた。
17時27分C受審人は、汽笛により短音三声を吹鳴し、機関を半速力後進、引き続き全速力後進にかけて投錨に備えたところ、同時28分新栄丸が右舷船首至近に迫っており、衝突の危険を感じたが、短音を連続して数回吹鳴するだけでどうすることもできず、原針路のまま、1.0ノットの前進行きあしで、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、新栄丸は、船首に破口を伴う圧壊を生じ、ア号は、右舷船首に破口を伴う凹傷を生じたが、のちいずれも修理された。

(主張に対する判断)
C受審人及びア号側補佐人は、「新栄丸が自動操舵で進行中、B指定海難関係人が見張りを行っておらず、航海日誌の記載に没頭していたのであるから、何らかの原因で針路が変更され速力が低下してもこれに気付く状況にはなく、また、ベテラン海技者であるC受審人が観察して新栄丸が衝突の2分前ごろに左転して船首をア号に向けてきたと判断したことは尊重すべきである。」旨主張するので、この点について検討する。
A受審人は、質問調書においで本件時操舵装置に故障はなかった旨述べており、このことは自動操舵装置は正常に作動していたものと認めて差し支えなく、また、B指定海難関係人は船橋内後部の海図台に向かって航海日誌の整理を行っており、操舵装置付近にいなかったためその操作は行っておらず、何らかの原因で針路の変更がなされたとの主張は根拠が薄弱である。
一方、B指定海難関係人作成の航跡図中から求めた新栄丸の定針地点及びC受審人作成の航跡図から求めた衝突地点の両地点を結ぶ方位線は236度であるが、当時当該海域には微弱な西流があって針路233度で進行中、3度右に圧流されていたと考えられる。このことはB指定海難関係人に対する質問調書の供述記載とおりほぼ一定針路で航行していたことを示しており、定針、衝突両地点間を航行中に左転が生じたものとは認められない。
A受審人は、当廷において、「衝突後新栄丸の左舷側とア号の右舷側が相対して航過した。」旨供述している、このことは衝突角度が小角度でなかったことを意味しており、ア号と新栄丸が原針路のまま航行して衝突したものと考えるのが妥当であり、衝突直前に左転したものではないことを裏付けるものである。
以上を総合すると、新栄丸は右方に3度圧流されながら233度の同一針路で航行して衝突したものと認めるのが相当である。

(原因)
本件衝突は、船舶が輻輳する京浜港川崎区沖合において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれがある態勢で接近中、ア号が、前路を左方に横切る新栄丸の進路を避ける措置が遅きに失したことによって発生したが、新栄丸が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
新栄丸の運航が適切でなかったのは、船舶が輻輳する東京湾内において、船長が、無資格の船橋当直者に当直中の遵守事項を具体的に指示しなかったことと、船僑当直者が、ア号の動静監視を十分に行わなかったこととによるものである。

(受審人等の所為)
C受審人は、京浜港川崎区沖合において、前路を左方に横切る態勢の新栄丸を認めた場合、早期に同船の進路を避けるべき注意義務があった。しかし、同人は、自船は速力を減じて錨泊予定地点に向かい、投錨態勢に入っているのであるから、新栄丸が自船の前路を替わして行くものと思い、早期に避航措置を取らなかった職務上の過失により、速力は落としていたものの、そのまま進行して衝突を招き、新栄丸の船首に破口を伴う圧壊を生じ、ア号の右舷船首に破口を伴う凹傷を生じさせるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人は、京浜港川崎区沖合において、船舶が輻輳する海域を航行中、甲種甲板部航海当直部員の認定を受けたB指定海難関係人に単独の船橋当直を委ねる場合、当直中見張りに専念すること、接近する他船があれば報告することなど、船橋当直中の遵守事項を具体的に指示すべき注意義務があったしかし、A受審人は、B指定海難関係人に単独の船橋当直を委ねても大丈夫と思い、具体的に指示しなかった職務上の過失により、衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B指定海難関係人は、船舶が輻輳する海域である京浜港川崎区沖合において、単独で船橋当直中、左舷船首方向に自船に向かって接近するア号を視認した際、これを一べつしただけで同船が避けてくれるものと思い、その後航海日誌の整理を行い同船の動静監視を十分に行わなかったことは本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては、本件後同人が動静監視の重要性について十分に認識し、東京湾内での船橋当直を単独で行っていないことに徴し、勧告しない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION