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1998年(平成10年)

平成10年仙審第21号
    件名
貨物船第八住徳丸貨物船大潮丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年9月29日

    審判庁区分
地方海難審判庁
仙台地方海難審判庁

?橋昭雄、供田仁男、今泉豊光
    理事官
上中拓治

    受審人
A 職名:第八住徳丸船長 海技免状:二級海技士(航海)
B 職名:大潮丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
住徳丸…船首外板に破口を伴う損傷
大潮丸…左舷前部外板に凹損及びハッチ開閉装置等に損傷

    原因
住徳丸、大潮丸…狭視界時の航法(速力)不遵守

    主文
本件衝突は、第八住徳丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったことと、大潮丸が、視界制限状態における運航が適切でなかったこととによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年7月22日18時15分
青森県八戸港
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第八住徳丸 貨物船大潮丸
総トン数 499トン 498トン
全長 74.99メートル 74.77メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット 1,176キロワット
3 事実の経過
第八住徳丸(以下「住徳丸」という。)は、船尾船橋型の鋼製貨物船で、A受審人ほか5人が乗り組み、石灰石1,579トンを載せ、船首3.53メートル船尾4.74メートルの喫水をもって、平成9年7月19日16時10分福岡県刈田港を発し、八戸港に向かった。
A受審人は、日本海を北上して津軽海峡を経る進路をとり、越えて22日13時ごろ尻屋埼を通過して青森県東岸沖を南下した。16時ごろむつ小川原港東方5.5海里沖合に達したころから霧に見舞われ、その後間もなく視界が著しく狭められた状態となり、自船の霧中信号の吹鳴が開始されたことを知って昇橋し、そのまま当直中の一等航海士に補佐させて操船の指揮を執り、航海灯を点灯して全速力のまま航行した。
17時20分A受審人は、八戸港外港中央防波堤北灯台(以下「防波堤北灯台」という。)から349度(真方位、以下同じ。)8.4海里の地点に達し、針路を170度に定め、機関を全速力前進にかけたまま9.0ノットの対地速力(以下速力は対地速力である。)で、八太郎北防波堤と中央防波堤との間の防波堤入口(以下「防波堤入口」という。)に向けて進行した。
18時04分少し前A受審人は、防波堤北灯台から335度1,250メートルの地点に達して入港配置を令したとき、視程が約150メートルに狭められた状態であったが、その後は1人でレーダーによる見張りを行いながら機関を半速力前進に減じて7.0ノットの速力で手動操舵により続航した。
18時09分半少し前A受審人は、右舷船首9度0.8海里に出港してくる大潮丸のレーダー映像を初めて探知し、その後同船と著しく接近することを避けることができない状況となったことを知ったが、同船を視認してからでも右転または後進して替わすことができるものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めることなく、機関を3.0ノットの微速力前進に減じて進行した。
18時15分少し前A受審人は、船首甲板の配置に就いていた一等航海士から「前方に出港船が見えた。」との報告を受け、ほぼ同時に船首少し右至近に大潮丸の船首部を視認し、右舵一杯として機関を全速力後進にかけたが及ばず、18時15分防波堤北灯台から210度500メートルの地点において、住徳丸は、180度を向いたとき、その船首が大潮丸の左舷前部外坂に前方から30度の角度でほぼ原速力のまま衝突した。
当時、天候は霧で風力1の北北東風が吹き、視程は約150メートルであった。
また、大潮丸は、船尾船橋型の鋼製貨物船で、B受審人ほか5人が乗り組み、鋼材1,400トンを載せ、船首3.36メートル船尾4.58メートルの喫水をもって、同月22日17時40分八戸大橋橋梁灯から272度1,600メートルの岸壁を離岸して八戸港を発し、北海道苫小牧港に向かった。
B受審人は、離岸時から霧模様であったので、船橋両ウイングに一等航海士らを見張員として配置し、自らはレーダーによる見張りを行いながら手動操舵で操船にあたって西航路を通航した。18時04分防波堤北灯台から189度2,300メートルの地点で、針路を防波堤入口に向かう000度に定め、機関を微速力前進にかけて5.4ノットの速力で進行した。同時05分ごろ霧のため視程が約150メートルとなり、更に視界が狭められた状態となったので、航海灯を点灯して霧中信号を開始した。
18時07分B受審人は、レーダーでほぼ正船首1.3海里に入港する住徳丸の映像を初めて探知し、左舷を対して航過するつもりで、同時07分半防波堤北灯台から192度1,720メートルの地点で、針路を005度に転じて続航した。同時09分半少し前左舷船首6度0.8海里に住徳丸のレーダー映像を認めるようになり、同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、同船がそのうちに右転して左舷を対して替わすことを期待し、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めずに同じ針路、速力のまま進行した。
18時14分半少し過ぎB受審人は、船橋左舷側ウイングにいた一等航海士から「入港船が見えた。」との大声を聞いたとき、船首左至近に住徳丸の船首部を視認して衝突の危険を感じ、舵中央のまま全速力後進としたが及ばず、大潮丸は、その船首が030度を向いたとき、原速力のまま前示のとおり衝突した。
衝突の結果、住徳丸は船首外板に破口を伴う損傷を生じ、大潮丸は左舷前部外板に凹損及びハッチ開閉装置等に損傷を生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、霧により視界が著しく制限された八戸港において、入港する住徳丸が、レーダーにより前路に探知した出港中の大潮丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことと、大潮丸が、レーダーにより前路に探知した住徳丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったこととによって発生したものである。

(受審人の所為)
A受審人は、霧により視程が約150メートルに狭められた八戸港に入港する際、レーダーにより前路に探知した出港する大潮丸と著しく接近することを避けることができない状況となった場合、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを止めるべき注意義務があった。しかし、同人は、同船を視認してから右転または後進して替わすことができるものと思い、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかった職務上の過失により衝突を招き、住徳丸の船首外板に破口並びに大潮丸の左舷前部外板に凹損及びハッチ開閉装置等に損傷をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、霧により視程が約150メートルに狭められた八戸港を出港する際、レーダーにより前路に探知した入港する住徳丸と著しく接近することを避けることができない状況となった場合、針路を保つことができる最小限度の速力に減じ、必要に応じて行きあしを止めるべき注意義務があった。しかし、同人は、同船がそのうちに右転して左舷を対して替わすことを期待し、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかった職務上の過失により衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。

参考図






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