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1998年(平成10年)

平成9年神審第53号
    件名
引船光復丸引船列交通船宝盛丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年3月19日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

長谷川峯清、早川武彦、工藤民雄
    理事官
坂爪靖

    受審人
A 職名::光復丸船長 海技免状:五級海技士(航海)(旧就業範囲)
B 職名:宝盛丸船長 海技免状:四級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
台船…船首船底切り欠き部の右舷側及び船底右舷側にそれぞれ擦過傷
宝盛丸…船橋構造物が大破し機関室に浸水、船長が全治1箇月の頭部外傷など

    原因
宝盛丸…灯火の確認不十分、見張り不十分、船員の常務(新たな危険)不遵守(主因)
光復丸引船列…見張り不十分、注意喚起措置、警告信号不履行(一因)

    主文
本件衝突は、宝盛丸が、反航する光復丸引船列の表示する灯火の確認が十分でなかったばかりか、見張りが不十分で、被引台船(辰)3000に対し、新たな衝突のおそれのある関係を生じさせたことによって発生したが、光復丸引船列が、見張り不十分で、注意喚起措置や警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
受審人Bを戒告する。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年8月21日19時35分
伊勢湾 加布良古水道
2 船舶の要目
船種船名 引船光復丸 台船(辰)3000
総トン数 150トン 600トン
全長 32.46メートル 65.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 735キロワット
船種船名 交通船宝盛丸
総トン数 1.0トン
全長 7.70メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 52キロワット
3 事実の経過
光復丸は、専らコンテナ運送用台船の曳航(えいこう)に従事する鋼製引船で、A受審人ほか3人が乗り組み、船首2.00メートル船尾3.60メートルの喫水をもって、幅20.00メートル高さ3.50メートルで、船首尾とも0.60メートルの等喫水となった、空倉で無人の非自航式鋼製台船(辰)3000(以下「台船」という。)を船尾に引いて引船列を構成し、平成8年8月21日15時25分三重県四日市港を発し、伊勢湾南西部の桃取、加布良古両水道経由で神戸港に向かった。
ところで、発航時光復丸引船列は、曳航索として、径90ミリメートル(以下「ミリ」という。)の水色の合成繊維ロープを光復丸から後方に長さ50メートル延出し、その後端を、台船から前方に延出した径30ミリ長さ18メートルのワイヤロープの後方に径50ミリ長さ5メートルのチェーンを接続した2本のブライドルに連結し、各チェーン後端は、台船の船首端から後方2.5メートル左右各舷側から1.4メートルの甲板上に設けたアイピースに取り付けられていた。
発航操船後いったん降橋して休息したA受審人は、17時30分三重県津港沖約10海里の地点において、狭い水道を通航するため再度昇橋し、船橋当直に就いて南下するうち、日没前の明るいうちに曳航索を延長する作業を実施することとし、18時20分ごろ桃取水道の北北西方約5海里の地点付近で、同索を長さ300メートルに延長したのち、操舵室中央の操舵輪後方に立ち、甲板員を自らの左横に立たせて左舷見張りに当たらせて進行した。
日没時にA受審人は、光復丸引船列の灯火として、光復丸にはマスト灯3個、舷灯1対、船尾灯及び引船灯を点灯し、また、台船には、船尾端から前方10メートルの左右各舷側から0.3メートル内側で、甲板上の高さ各1.7メートルに舷灯1対を、及び船首尾線上の船尾端から前方0.3メートルで甲板上の高さ1.2メートルに船尾灯を、それぞれ搭載バッテリーを電源として自動点灯装置により表示したほか、船尾端から前方約5メートルの右舷舷側に甲板上2.2メートルの高さで白色の、及び船首端から後方約3メートルの左舷舷側から約1メートル内側に甲板上1.8メートルの高さで赤色の、それぞれ単一乾電池4個を電源とする2秒に1閃光(せんこう)の自動点灯式簡易点滅灯を掲げた。
19時10分A受審人は、桃取水道を通過したのち、三重県鳥羽市坂手島の東端に存在し、加布良古水道北口の針路目標となっている丸山埼灯標に向けて続航した。
19時32分半少し過ぎA受審人は、丸山埼灯標沖にあたる誓願島灯標から006度(真方位、以下同じ。)650メートルの地点に達したとき、右転して加布良古水道に入るため、右舷前方の誓願島灯標付近を見たところ、航行中の他船を認めなかったので、上半身を右にひねって丸山埼灯標と台船の灯火とを操舵室の後部窓越しに見ながら、同水道の中央を航行するよう、右舷約10度を取り、自船の転じた進路に台船が追従するのを確認しつつ右回頭を続け、同時33分誓願島灯標から006度560メートルの地点において、針路をいったん同灯標に向首する186度に定め、機関を全速力前進にかけ、折からの北流に抗して8ノットの対地速力で、手動操舵により進行した。
定針したころA受審人は、右舷船首20度540メートルに、前路を左方に横切る態勢で接近する宝盛丸の灯火を確認し得る状況であったが、定針前に前方の加布良古水道方向には他船の灯火を認めなかったことから、航行中の船舶はいないものと思い、周囲の見張りを十分に行うことなく、坂手島の南側の水道を東行する宝盛丸の存在も、その後同船が左転して丸山埼灯標に向けたことにも気づかないまま、台船の追従状況を確かめながら続航した。
19時33分半少し過ぎA受審人は、誓願島灯標から006度380メートルの地点に達したとき、同水道に沿って進行するよう、左舵10度を取り、同時34分同灯標から012度320メートルの地点において、針路を155度に転じ、上半身を左にひねって台船の灯火を見ながら、続航した。このころ、同受審人は、自引船列と右舷を対して無難に航過する態勢で北上中の宝盛丸が、右舷船首74度120メートルのところで、自船と台船との間に向けて右転し、同引船列に対して新たな衝突のおそれのある態勢で接近したが、台船の転針追従状況の確認に気を取られ依然宝盛丸の接近に気づかず、曳航索や台船に向けて探照灯を照射するなど注意喚起の措置をとることも、警告信号を行うこともしないで進行中、19時35分誓願島灯標から011度420メートルの地点において、宝盛丸の左舷船首が、164度に向いて引かれている台船の右舷側ブライドルに、前方から70度の角度で接触したのち、同船船首船底切り欠き部の右舷側に、前方から48度の角度で衝突し、台船が宝盛丸を乗り切った。
当時、天候は晴で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の中央期で、衝突地点付近には約0.5ノットの北流があり、日没は18時33分であった。
A受審人は、衝突に気づかないまま続航し、翌22日00時30分ごろ御座灯台南東方約20海里を航行中、鳥羽海上保安部から連絡を受けて衝突を知り、事後の処置に当たった。
また、宝盛丸は、B受審人が通勤用に使用しているFRP製交通船で、同人が1人で乗り組み、帰宅の目的で、船首0.20メートル船尾0.23メートルの喫水をもって、平成8年8月21日19時25分三重県鳥羽港中之郷桟橋の係留地を発し、法定灯火を表示し、坂手島の南側の水道を経由して自宅のある同県菅島の東部北岸にある菅島漁港に向かった。
ところで、B受審人は、夜間、鳥羽港から菅島漁港に向かう際、鳥羽港発進後坂手島の南側の水道を、坂手島南東沖合に設置された真珠養殖筏(いかだ)多数の点滅標識灯に沿って東行したのち、菅島北西岸に設置された標識灯の少ない真珠養殖筏に接近しないよう、誓願島灯標を右舷に並航したときに左転し、北東方の三重県答志島和具町の街明かりを目標として加布良古水道北部を北東進したのち、菅島の北岸に沿って同島北西岸の真珠養殖筏の沖合を東行する航路を利用していた。
19時30分半わずか前B受審人は、誓願島灯標から253度1,060メートルの地点において、トウラ灯浮標に並航したとき、針路を066度に定め、機関を半速力前進にかけ、折からの西流に抗して11.6ノットの対地速力で、手動操舵により進行した。
19時33分少し前B受審人は、誓願島灯標から278度240メートルの地点にさしかかったとき、左舷船首39度640メートルに、光復丸の灯火を初めて認めた。その際、同受審人は、同船が表示する白、白、白、緑4灯を視認し得る状況であったが、一瞥(いちべつ)しただけで、狭い水道だから、曳航物件の後端までの距離を200メートル以下とした引船列が、連掲した白灯2個と舷灯を点灯し、加布良古水道に向かって航行しているものと思い、光復丸引船列の表示する灯火を十分に確認することなく、光復丸がマスト灯を3個連掲していることに気づかないまま、同じ針路、速力で続航した。
19時33分半少し前B受審人は、誓願島灯標から349度130メートルの地点に達し、光復丸が左舷船首54度330メートルに接近したとき、光復丸引船列の前路を左方に横切って菅島に接近すると、その後左転して北上する際に、同島北西岸の真珠養殖筏に接近するおそれがあることから、同引船列と右舷を対して航過したのちに右転していつもの航路にのせるつもりで、針路を丸山埼灯標に向かう000度に転じ、同灯標に接近し過ぎないように減速し、折からの北流に乗じて6.5ノットの対地速力で進行した。
19時34分B受審人は、誓願島灯標から354度240メートルの地点に差し掛かり、台船が右舷船首9度430メートルに接近したとき、同船が表示する緑灯及び2個の点滅標識灯を、丸山埼灯標の右方に視認し得る状況であったが、初認時光復丸の灯火を一瞥しただけで、曳航物件の後端までの距離が短い引船列と思っていたので、間もなく光復丸が右舷正横を航過する態勢となったことから、北東方に転針しても、曳航物件の後方を無難に航行できるものと思い、台船に対する見張りを十分に行うことなく、いつものように和具町の街明かりに向首するよう、針路を032度に転じたところ、光復丸と台船との間に向かうようになり、光復丸引船列と新たな衝突のおそれが生じた。
その後B受審人は、航過した光復丸のすぐ後方に曳航物件があるはずと思って専ら前路から右方の見張りに当たり、光復丸引船列に向首したことに気づかず、同引船列を避ける措置をとらないまま続航中、19時35分わずか前正船首方の目線より少し高い位置に、自船のマスト灯に反射する光復丸引船列の曳航索のブライドルを認め、あわてて機関を停止して甲板上に伏せたが間に合わず、原針路のまま、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、曳航索には異常がなく、台船は船首船底切り欠き部の右舷側及び船底右舷側にそれぞれ擦過傷を生じただけであったが、宝盛丸は台船の船底下を通り抜けた際に船橋構造物が大破し、機関室に浸水したものの、のちに修理された。また、B受審人が、全治1箇月の頭部外傷などを負った。

(原因)
本件衝突は、夜間、加布良古水道において、両船が互いに右舷を対して無難に航過する態勢で進行中、北上する宝盛丸が、光復丸引船列の表示する灯火の確認が十分でなかったばかりか、光復丸の船尾方に対する見張りが不十分で、被引台船の存在を確かめないまま右転し、同引船列に対して新たな衝突のおそれのある関係を生じさせたことによって発生したが、光復丸引船列が、見張り不十分で、探照灯による台船の照射などの注意喚起措置や警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
B受審人が、夜間、加布良古水道に向けて鳥羽港内を東行中、左舷前方に光復丸が表示する引船列の灯火を視認した場合、同灯火を十分に確認すべき注意義務があった。ところが、同受審人は、光復丸が表示する引船列の灯火を一瞥しただけで、白、白2灯を連掲した曳航物件の後端までの距離が200メートルを超えない引船列と思い、同灯火を十分に確認しなかった職務上の過失により、無難に航過できる態勢の光復丸引船列に向けて転針し、新たな衝突のおそれのある関係を生じさせたことに気づかず、同引船列を避ける措置をとらないまま進行して被引台船との衝突を招き、宝盛丸の船橋を大破及び機関室に浸水並びに同台船の船首船底切り欠き部の右舷側及び船底右舷側にそれぞれ擦過傷を生じさせ、自身が頭部外傷などを負うに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
受審人Aが、夜間、加布良古水道を経由して神戸港に向かう場合、坂手島の南側の水道を東行する宝盛丸を見落とさないよう、周囲の見張りを十分に行うべき注意義務があった。ところが、同受審人は、転針前に前方の同水道から右方にかけて一瞥しただけで、航行中の船舶はいないものと思い、台船の転針追従状況の確認に気を取られ、周囲の見張りを十分行わなかった職務上の過失により、宝盛丸との衝突を招き、台船の船首船底切り欠き部の右舷側及び船底右舷側にそれぞれ擦過傷並びに宝盛丸の船橋を大破させるとともに機関室に浸水を生じさせ、B受審人に頭部外傷などを負わせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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