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1998年(平成10年)

平成9年長審第79号
    件名
漁船第六十八丸福丸漁船第五山田丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成10年4月17日

    審判庁区分
地方海難審判庁
長崎地方海難審判庁

保田稔、高瀬具康、関?彰
    理事官
平良玄栄

    受審人
A 職名:第六十八丸福丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
C 職名:第五山田丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
丸福丸…右舷船首部に凹損
山田丸…左舷船首部に凹損

    原因
丸福丸…居眠り運航防止措置不十分、各種船間の航法(避航動作)不遵守

    主文
本件衝突は、第六十八丸福丸が、居眠り運航の防止措置が不十分で、漁ろう中の第五山田丸を避けなかったことによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年12月9日00時47分
五島列島西方沖合
2 船舶の要目
船種船名 漁船第六十八丸福丸 漁船第五山田丸
総トン数 230トン 144.03トン
全長 50.19メートル 38.90メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 728キロワット 735キロワット
3 事実の経過
第六十八丸福丸(以下「丸福丸」という。)は、網船1隻、灯船2隻及び運搬船2隻で構成するまき網漁船団の運搬業務に従事する鋼製漁船で、A受審人及びB指定海難関係人ほか、6人が乗り組み、平成8年12月4日16時00分長崎県松浦港を発し、船団が操業中の大韓民国チェジュ島西方沖合に向かい、同月7日03時40分同沖合に至り、投錨して乗組員が休息したのち、同19時ごろから翌8日11時前まで連続して全員による網船からの漁獲物積込みを行い、さば約155トンを載せ、船首3.50メートル船尾4.00メートルの喫水をもって、11時00分同沖合を発進し、水揚げのため佐賀県唐津港に向かった。
A受審人は、船橋当直を自らとB指定海難関係人及び一等航海士の3人による単独3時間交替の輪番制として進行し、23時55分北緯33度16分東経127度59分の地点に達したとき、針路を079度(真方位、以下同じ。)に定め、機関を11.0ノットの全速力前進にかけ、積込み作業で多少疲れが残るB指定海難関係人に単独船橋当直を引き継ぐこととしたが、同人の判断に委ねておけば大丈夫と思い、居眠り運航を防止するため、眠気を催した際に報告するよう具体的指示を行うことなく、船橋当直を引き継いで自室に退き就寝した。
B指定海難関係人は、船橋当直交替後法定の灯火を表示していることを確認したのちいすに腰掛けて自動操舵により同針路で進行し、翌9日00時10分ごろレーダーを一瞥(いちべつ)して右舷船首方6海里ばかりに2隻の他船の映像を認めたものの特に気にもせず、漁場での疲労が残り風邪気味で体調が良くなかったこともあって間もなく眠気を催したが、疲労などがそれほどひどくないので何とか我慢すれば眠り込むことはないものと思い、A受審人にその旨報告して船橋当直を交替するなどの居眠り運航の防止措置をとることなく、その後いすに腰掛けたまま居眠りに陥った。
00時41分少し過ぎB指定海難関係人は、右舷船首18度1海里のところに第五山田丸(以下「山田丸」という。)の緑、白連携及び紅各1灯のほか作業灯を、また、同船の近くに第三山田丸が同様に揚げた各灯火をそれぞれ視認でき、その後山田丸の方位に変化がなく同船と衝突のおそれがある態勢で接近する状況となったが、居眠りしていたのでこのことに気付かず、漁ろう中の山田丸を避けることができないまま続航した。
00時47分わずか前B指定海難関係人は、ふと目覚め、山田丸を前路至近に認め、驚いていすから立ち上がり急ぎ手動操舵に切り替え、左舵15度をとったもののその効なく、00時47分北緯33度18分東経128度10分の地点において、丸福丸は、原針路、原速力のまま、同船の右舷船首部が、山田丸の左舷船首部に後方から79度の角度で衝突した。
当時、天候は曇で風力1の南南西風が吹き、視界は良好であった。
A受審人は、衝突後約1時間経過したのち、B指定海難関係人から報告を受けて衝突の事実知り、同地点に引き返そうか思案したものの、損傷が重大でなかったので、同地点に引き返すことも関係機関にその事実を通報することもせずに目的に向けて続航した。
また、山田丸は、同型船である第三山田丸とともに2そう沖合底引き網漁業に徒事する鋼製漁船で、C受審人ほか7人が乗り組み、操業の目的で、船首1.60メートル船尾3.20メートルの喫水をもって、同年11月18日09時15分長崎港を発し、五島列島西方沖合の漁場に至り、同沖合辺りでの操業を第三山田丸とともに繰り返し行っていた。
C受審人は、同年12月8日22時40分北緯33度11分東経128度10分ばかりの地点において、第三山田丸で操業中の指揮を執る漁労長の指示により漁網を投じ、同船の右舷側500メートル隔てたところで右側の曳(えい)索を引き、機関を3.5ノットの曳網速力にかけ、針路を000度に定め、両舷灯、船尾灯及び上下に緑、白各全周灯の法定灯火のほかに後部マストなどに作業灯を点灯し、同船との横距離を保ちながらトロールによる漁ろうに従事し、手動操舵をとりながら進行した。
翌9日00時37分ごろC受審人は、左舷船首83度1.5海里のところに丸福丸の白、白、緑3灯を初めて認め、その動静を監視するうち、同時43分同船の方位がほとんど変わらず1,000メートルまで接近したが、そのうち同船がほぼ同じ針路で曳網している第三山田丸及び自船を避けて行くものと思ってその動静監視を続けた。
ところが、C受審人は、その後丸福丸が、第三山田丸の船尾方に著しく接近する様子を認め、同船の船橋当直に当たっていた甲板員に無線電話で注意を促し、丸福丸に対して投光器を点灯させ、自ら警告のため点滅発光信号を発したものの、依然として同船が衝突のおそれがある態勢のまま自船に接近し、同時45分半丸福丸が、自船に前後距離約150メートル先行していた第三山田丸の船尾至近距離を航過したとき、漁網を引いていたので機関の停止をためらい、汽笛による警告信号を連吹したが、なおも丸福丸に避航の気配がないことを認めて機関を全速力後進とし、間もなく行きあしが停まったものの及ばず、山田丸は、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、丸福丸は右舷船首部に、山田丸は左舷船首部にそれぞれ凹損を生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、夜間、五島列島西方の広い海域において、丸福丸が、居眠り運航の防止措置が不十分で、漁ろう中の山田丸を避けなかったことによって発生したものである。
丸福丸の運航が適切でなかったのは、船長が疲労の残る乗組員に単独船橋当直を行わせる際、居眠り運航防止のための具体的指示が十分でなかったことと、単独船橋当直者が居眠り運航防止措置をとらなかったこととによるものである。

(受審人等の所為)
A受審人は、夜間、五島列島西方の広い海域を帰航の途上、疲労の残るB指定海難関係人に単独船橋当直を行わせる場合、居眠り運航を防止するための具体的指示を行うべき注意義務があった。しかし、A受審人は、B指定海難関係人の判断に委ねておけば大丈夫と思い、居眠り運航を防止するための具体的指示を行わなかった職務上の過失により、居眠り運航となり、山田丸を避けることができないまま進行して同船との衝突を招き、丸福丸の右舷船首部に、山田丸の左舷船首部にそれぞれ凹損を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B指定海難関係人が、夜間、五島列島西方の広い海域において単独船橋当直中、眠気を催した際、居眠り運航防止措置をとらなかったことは、本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては、勧告するまでもない。
C受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。

参考図






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