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表3 公共部門の従業員

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(注) 臨時職員を除く。1994年度は推定。

(出所) Asian Development Bank, Economic Report on Myanmar, December 1995.

 

2. 公務員制度の変遷

 

ミャンマー王朝は3回の英緬戦争を経て滅亡し、1886年全土は英領インドにその1州として併合された。植民地支配下で王朝時代の官僚制度は廃止され、新たな公務員制度が導入された。インド高等文官(Indian Civil Service)が植民地行政の中核的担い手であったが、当時高等文官の大部分は英国人またはインド人であった。その後、ナショナリズムの高まりの中で、1923年に両頭制(Diarchy)が導入され、ミャンマー人が行政に参加する機会が与えられた。1935年に制定された改正ビルマ統治法が1937年に施行され、ミャンマーはインドから分離され、総督をおくイギリスの直轄領となった。同時に公務委員会(Civil Service Commission)が設置され、ビルマ高等文官(Burma CIvel Service)が編成された。

1948年1月4日ミャンマーは独立を果たすが、植民地時代からの行政機構はそのまま残った。徴税および法と秩序の確保がその主な役割であり、経済開発に関してはほとんど顧みられなかった。1962年以降の「ビルマ式社会主義」導入により、公務員制度は次第に変化していった。1972年新しい行政機構が導入され、公務員は地域行政委員会(Regional Administrative Committees)の職員となった、その後、1974年の新憲法下、地域行政委員会は選挙選出メンバーに入れ代わった。選挙によって選ばれたメンバーが、行政、司法、法律、会計業務および検査を担当することになった。それまでそうした地位にあった公務員は、単なるスタッフの地位に降格された。

現軍事政権の登場により、公務員の役割は再び大きく変化した。国家法秩序回復評議会(SLORC)がそれまでの選挙選出メンバーを更迭し、替わって公務員を権限ある地位に任命し、現在に至っている。

行政における公務員の権限が拡大される一方で、彼らに対する政権の監督も強まっている。1988年の民主化運動に参加した公務員に対しては、大規模な粛正が行われた、公務員

 

 

 

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