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長を含むNLD党員であるが、一人だけ他党の政治家が入っていた。実はこの人物は、シャン州・アラカン州・モン州など4つの少数民族政党の41議席を代表するために加わっていたのである。即ち、NLD議員の委任数は210議席にすぎず、単独では過半数を達成できなかったのである。90年総選挙で8割の議席を獲得したNLDであったが、軍政による抑圧の中で、資格剥奪、辞任、逮捕、拘禁あるいは死亡などでその人数は大幅に減少していた。軍政の切り崩し工作がこれ以上進む前に、NLDは手を打つ必要があった。NLDがこの時期委員会の設置に踏み切った背景には、こうした切迫した事情があったのである。

一方、10人委員会設置以降、軍政のNLDへの干渉はより露骨なものとなっている。千人近いNLD議員・党員が軍の「ゲストハウス」に「招待」され、議員辞職やNLDからの脱退を「説得」されたと言う。実際、解放された議員・党員の多くが辞職・離党したし、多くの地方支部が「自主的」に閉鎖を申し出ている。結局、今回の政治対立の激化は、NLDの弱体化と、軍政の断固としたNLD潰しの意思を暴露する機会であった。

以上のような厳しい国内政治対立が続く中、国際社会による調停が試みられているが、現在までのところ成果を上げていない。今後暫くは、こうした膠着状態が続くものと思われる。

 

5 経済動向

 

1988年権力を掌握した国家法秩序回復評議会(以下SLORC)は、それまで四半世紀にわたり追求されてきた「ビルマ式社会主義」を放棄し、対外開放と経済自由化を柱とする市場経済化に方針転換した。数年は経済低迷が続いたが、軍政下で最初の経済計画となる「4カ年計画」(1992〜95年度)が開始された頃から、経済成長率は上向き始めた。計画期間中の年平均成長率は、目標の5.1%を上回り7.5%を達成した。社会主義時代の長期停滞に比べれば、確かに「高度」成長であった。

この成功に自信を深めた政府は、第2次中期計画として5カ年計画(1996〜2000年度)を開始した。しかし、計画初年度にあたる96年度のGDP成長率は6.1%と目標の6.4%に届かず、必ずしも好調なスタートを切れなかった。97年度も洪水被害による農業不振やアジア通貨危機の影響など様々な悪材料に見舞われ、GDP成長率は5.7%へと減速した。

1998年度に入り、統計はまだ発表されていないものの、経済は一層減速したようである。貿易赤字の拡大、銀行の不良債権の増加、外貨危機、農業生産の伸び悩み等、多くの問題が噴出してきている。さらに、国内政治対立の悪化が、欧米先進国の経済制裁や日本を含む主要国からの援助停止を招く原因となっている。

ミャンマーが持続的な経済発展を目指すためには、国際社会にきちんと復帰し、世界と地域の市場・資金・技術・援助へのアクセスを回復することが必要であり、そのためには、民主化と人権問題の解決が必要となろう。

 

 

 

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