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日、混乱収拾を大義名分としソー・マウン大将率いる国軍が全権を掌握し、「国家法秩序回復評議会(SLORC)」を設置した。1990年5月総選挙が実施され、アウンサン・スーチー率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したにもかかわらず、軍政は政権移譲を拒否した。

1992年4月にはタン・シュエ上級大将がソー・マウンに替わりSLORC議長に就任し。翌年1月からは政党・国会議員・少数民族・農民・労働者・テクノクラート・公務員等で構成される「制憲国民会議」が設置され、新憲法草案の審議が始まった。しかし、1996年3月まで審議が断続的に行われできたものの、それ以降現在(1998年12月)に至るまで、全体会議における審議は止まったままである。

1997年11月、国家平和開発評議会(SPDC)へと組織再編および人事刷新が行われたが、軍事独裁という政治体制に変更はなく、現在に至っている。

 

4 政治動向

 

1990年選挙に基づく民政移管が拒否された時点で、アウンサン・スーチー率いる国民民主連盟(以下NLD)と軍政との対立は決定的となった。軍政の言い分は「憲法がない現状では、権力の移譲はしたくても出来ない」ので「まず制憲国民会議の場で憲法をつくり、これに基づいて民政移管を行う」というものであった。しかし、先に見たように、93年1月に召集された国民会議は、96年3月以降開催されておらず、既に頓挫したかにもみえる状況にある。軍政は憲法制定作業の遅れを理由に、権力移譲を先延ばしにしているのである。

こうした中、軍事政権樹立10周年を目前とした1998年9月17日、NLDは「国会議員代表者委員会」(通称10人委員会)を設置し、この委員会が90年総選挙に基づく「国会」の機能を代用すると発表した。同時に委員会は、軍政によって制定された法律は国会の承認を受けていないので全て無効であると宣言し、現政権を「不法」な権力とする姿勢を明確にした。当然軍政の反応は厳しく、大量のNLD関係者が拘束されるとともに、各地で公務員などを動員した反NLD、反アウンサン・スーチー・キャンペーンが展開された。

NLDが対決姿勢を強めたのは、同年5月末に開催された総選挙記念集会以降である。集会での決議を受け、民主連盟が期限付きの国会開催要求を軍政に突き付ける一方、アウンサン・スーチーは政治活動の自由と拘束者の釈放を求めて車内籠城を繰り返した。NLDやアウンサン・スーチーの行動は、国際社会の注目を集めることに成功し、再び軍政批判の声が盛り上がった。しかし、一見攻勢にみえるNLDではあったが、10人委員会の設置は図らずもその弱体化を示す出来事にもなった。

10人委員会は、1990年総選挙の選出議員485人の半数(243人)を超える251人の議員から委任を受けていることを、その成立根拠としていた。委員10人中9人までがスーチー書記

 

 

 

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