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話は少し戻って、第2次世界大戦中、1941年末から3年間、ブルネイは日本の統治下に置かれたが、ブルネイにおける日本軍は、サルタンの権威を尊重し、その宗教的、社会的地位の保持に努める政策をとり、更に占領政策遂行に必要な民心把握に努力した為、総じて激しい反日感情は醸成されなかった。

終戦後1950年、オマール・アリ・サイフデンが第28代サルタンに即位し、1959年、新憲法を制定して国の近代化を推進した。この憲法には、外交と国防を英国に依存しつつも、主権を持つ国家である旨明記されている。その後、1961年にマラヤ連邦のラーマン首相が発表した、マラヤ、シンガポール、サラワク、北ボルネオ、ブルネイから成る「マレイシア連邦」構想への参加要請がサラワク州及びマレーシアからあったが、ブルネイはこれを退けて独立国家への足固めを進めた。1967年、オマール・アリ・サイフデンは退位して、継嗣ハサナル・ボルキアに王位を譲った。1979年、ブルネイは英国との間に英・ブ友好協力条約を締結し、この条約に基づいて1984年1月1日を以ってブルネイは完全な独立国となった。続いて同年1月7日にASEANに加盟、同年9月21日に国連に加盟する等、国際化への道を歩み出した。

 

2 地理的条件

 

ブルネイはグリーンランド及びニューギニアに次いで世界第3位の広さ(総面積75万7000平方キロ。日本の約2倍の面積)を誇る島ボルネオの北西部、東経114度23分、北緯5度5分、赤道の北442キロメートルに位置し、面積5,765平方キロ(三重県とほぼ同じ)を占める王国である。北部は南支那海に面し、その海岸線は161キロメートル。陸上部はマレーシアと国境を接し、国土はマレーシア、サラワク州リンバン地域により二分されており、西部の飛び地部分をテンブロン県、東部の首都のある方をブルネイ・ムアラ県、ツトン県、ベライト県が占めている。

気候は、熱帯雨林気候で高温多湿、1日の平均気温は摂氏22度から32度で年間平均気温は28度。モンスーン時期の11月から3月の間(所謂雨期と呼ばれる)に大量の雨が降り、4月から9月は比較的雨が少ない。年間平均降雨量は、テンブロン地区で4千ミリ、その他の地区で2千4百〜2千9百ミリ。この雨によって、土壌中の有機分は分解される前に海に押し流されるため、ブルネイの土壌は低湿地を除けば、砂質土壌、粘土壌が地表を覆い地味は概して痩せている。

二分された国土の東部は、広い沿岸平野の奥に、海抜1,500メートル以上級の山岳地帯が連なっており、西部は内陸に向かって延びる標高300メートルの低丘陵地帯となっている。国土の約75パーセントが熱帯雨林で覆われ、耕作地は首都バンダル・スリ・ブガワンから西に延びる比較的狭い沿岸地帯にのみ存在し、国土の約4%を占めている。

 

 

 

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