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序章 概説

 

1 歴史

 

ブルネイは東南アジアの中心に位置しているため、古くから東西を結ぶ交通の要所として、6世紀頃には既に中国との交易が行われていたと考えられており、アジアにおける最も古い王国のひとつである。

8世紀には国が統一されたと考えられ、当時はボルネオ島全体がブルネイとして知られていた。ボルネオという地名は、ブルネイを西洋人が誤って発音したものであると云われている。イスラム教は、中東のイスラム商人によって東南アジアに紹介され、ボルネオには、13世紀初頭に伝来したと考えられている。ブルネイは香辛料を主とする中東と中国の取引の中継地として、又、マレー半島等との取引によって繁栄した。14世紀から15世紀にかけて、ブルネイは最も強大なイスラム王国となり、その勢力はボルネオ島を越えてマニラにまで達していたようである。16世紀末になるとスペインのフィリピン侵入によりブルネイのフィリピンヘの影響力は終り、更にジャワ島へのオランダ、イギリスの侵入によりブルネイの勢力範囲は縮小した。1839年、英国探検家ジェームス・ブルックがボルネオ島を訪れたが、その頃ボルネオには海賊がひんぱんに出没しており、彼はイギリス海軍の強大な力を使ってこの海賊を鎮圧し、その報酬として当時のサルタンからサラワクの統治権の割譲を受け、更に「ラジャ」(王)の称号を得た。これ以降ブルネイは南からはブルック家の勢力により、現在のサバ州からは後にアメリカ及びヨーロッパ勢力の圧力にさらされることになり、領土は次第に縮小していった。

1847年、ブルネイは英国と条約を締結し、通商関係並びに海賊鎮圧の強化を行った。更に1888年、条約を重ね締結することにより、英国の保護領となった。1890年には英国の圧力により現マレーシア、サラワク州リンバン地区の割譲を余儀なくされ、以降、ブルネイは二つの地域に分断され、現在の国土となった。1906年、ブルネイは英国から最初の総督を迎え入れ、その総督が、マレー慣習及び宗教問題を除く全ての問題につき、サルタンに助言することとなった。

1910年にはミリで油田が発見され、石油開発に拍車がかかった。1929年、シェル石油がセリアで石油採取に成功し、商業生産を開始したことにより、その後のブルネイ経済を支える基礎が確立された。その後、1963年、1969年、1978年と油田が発見され、これら石油は膨大な量の天然ガスと併存していた為、二度の石油危機を経てブルネイは産油、ガス国として、領土は縮小したものの急速に富める国となっていった。1969年以降現在に至るまでこの天然ガスは液化され、LNGとしてそのほとんどが公害対策に意を用いる日本の電力、ガス会社向けに輸出されている。

 

 

 

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