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(1)一般事情
 社会主義人民リビア・アラブ国(以下リビアという)は、北アフリカ中央部に位置し、北は1,900?に及ぶ海岸線で地中海にのぞみ、東はエジプト、南東はスーダン、南はチャド、ニジェール、西はアルジェリア、チュニジアに国境を接している。
 国土面積は1,759,540?2(日本の4.66倍)で、アフリカ大陸第4位の広さを誇っている。
 国土はトリポリタニア、シレナイカ、フェッザーンの3地域からなり、その約90%が砂漠、不毛の地であり、西側半分は海抜数百メートルの台地が続き、東側半分は概ね平坦な低地帯である。
 チャドとの国境沿いには2,000m級の山があるが、一般には900m級の丘陵しか存在しない。
 気候は、広大な国土に目だった山岳、山脈も存在しないため、地中海と砂漠の影響を直接受け、非常に変わり易い。
 特に、冬季は突然天候が悪化して雷鳴を伴ったあられが降ったり、時には暴風雨が訪れたりする。
 海岸沿いの地域は、典型的な地中海性気候で、12月〜2月の冬期に雨が多く、冬期には強い風が吹き、気温も氷点下近くまで下がることがある。
 ガリアンの丘陵地帯では、冬期氷点下10度になり、2〜3mに及ぶ降雪に見舞われる年もある。
 一方、夏は長くて暑く、初夏、初冬の季節の変わり目によく起こるギブリー(南風)と呼ばれる砂漠からの非常に乾燥した熱風は、大量の褐色の砂を運んで、2〜3時間で気温を10℃近く上昇させてしまう。
 リビアの内陸部フェッザーン地方は、砂漠性気候であり、年間雨量は10?を超えず、オアシスを中心とした極く限られた地域にしか生物は存在しない。
 気候は極めて過酷で、気温は日中に50℃に上がったり、夏季でも夜は10℃以下に下がったりする。
 ギブリーや砂嵐が何日も続くことがあり、15〜20年も全く雨の降らない地域も存在する。
 しかし、一旦降雨があると、短時間に大量に降るため洪水をひき起こし、被害を人畜に及ぼすことがある。
 人口は559万人(96年央推定)で、首都をトリポリ(市部人口55万人)におく。
 人種はアラブ人で、宗教はイスラム教である。
 言語は、アラビア語が使用されている。
 リビアの内政は、イスラム教を基調においた社会主義的、民族主義的国家の建設を目的とし、人民平等の民主的機構・体制の確立を目指している。
 なお、労働問題では、リビアは人口が少ないため、労働力を大きく外国人に依存しており(リビア統計局の資料によれば、総労働力約92.7万人のうち外国人労働者は約26.3万人)、特に最近関係改善が著しいエジプトからの労働者が多く、その他チュニジア、アルジェリア、モロッコ等マグレブ諸国やスーダン、ガーナ、ニジェール等の近隣アラブ、アフリカ諸国からの労働者、また、アジアからは韓国、フィリピン、パキスタン、バングラデシュなどの労働者も各種産業に従事している。
 このため政府は、特に非熟練労働者について、フィリピン等アジア人をエジプト、スーダン等の周辺アラブ諸国に移動させ、また、賃金の海外送金率の低減、低賃金雇用締結等の政策実行の動きが見られる。
 外交では、イスラム社会やアラブの団結を基本方針としているが、91年のパンナム機およびUTA機(89年)事故にリビア政府が関与しているとして、国連による制裁措置が続いており、国際的な孤立感が高まっている。
 リビアの経済は、1950年代に国内に石油が発見される以前には、農牧業を中心とし、家畜、皮革、ナッツなどの僅かな輸出と自給農業とによって支えられていた。
 現在の基幹産業となっている石油産業は、石油の生産量と国際価格動向によって大きく左右され不安定である。
 原油生産量は、90年の指数を100とすると、91年と92年が共に110.2、93年と94年が共に102.2、96年が104.1となっている。
 92年以降、原油収入の減収、国連による経済制裁の影響により、投資の縮小、外貨事情の悪化がおこり、リビア経済の成長は停滞している。
 一方、貿易収支は89年〜96年でみると、毎年黒字を記録している。
 EIU資料によれば、95年、96年、97年の国内総生産(GDP)は、それぞれ78、84、86億リビアン・ディナール(LD)であり、実質GDP成長率は2.0、1.5、0.5%となっている。
 また、GDP(92年)に対する産業部門別寄与率は、農・林・漁業が4.5%、鉱業(石油、天然ガスを含む)が32%、建設業が6.7%、製造業(公益事業を含む)が11.0%となっており、鉱業部門が最も大きなシェアを占めている。
 世銀の推定によると、リビアの国民総生産(GNP)は、89年は233億3,300万ドル、1人当りでは5,310ドルを記録している。
 また、80年〜89年の期間では、年率5.4%、1人当り9.2%の減少となっている。
 GDPは80年〜89年の期間では、年率約4%の減少となっている。
 国連資料によれば、92年の実質GDPは3.3%の成長を記録している。
 また、英国中東経済ダイジェストによれば、GDPは、94年、95年それぞれ5%、4%の減少となっており、96年は3.5%の増加が見込まれている。
 農業部門(林・漁業を含む)は、92年GDPの7.5%を寄与し、労働人口の6.1%がこの部門に従事している。
 リビアは、広大な国土の約95%を砂漠が占めており、農耕可能な面積は国土の僅か1.5%に過ぎない。
 農耕地の約75%は、比較的降雨に恵まれた海岸線の狭いベルト地帯にあり、主に穀類、野菜、果物などを生産している。
 主食の小麦、大麦の生産は、70%程度の自給率である。
 農業生産は降雨量に大きく依存するので、これら主要作物の生産量は常に天候に左右されている。
 このため、政府は農業振興政策に基づいて、農地の開拓や灌漑を積極的に推進し、また、農業の機械化、肥料の普及、種子の改良などによって農業生産は著しく向上しているが、リビア農業は、砂漠、水源・労働力の不足という3つの基本的な阻害要因から逃れないのが現状である。
 現在、リビアは食料の約50%を輸入に依存し、食料は輸入総額の20%以上を占め、外貨事情の悪化に直接影響しているだけに、農業開発による食料の自給自足を目指すことは、戦略的にも極めて重要な課題となっている。
 1985〜95年の期間において、農業生産高は年率0.8%の割合で減少をしている。
 鉱・工業部門(鉱業、製造業、建設業、電力を含む)は、92年GDPの48.6%を寄与し、労働人口の28.9%がこの部門に従事している。
 このうち、鉱業は25.4%を寄与しているが、労働人口の僅か2.6%がこの部門に従事しているに過ぎない。
 輸出収入への寄与率は95%以上を占め、リビア経済にとって最も重要な部門となっており、石油輸出の好・不調はリビアの財政、経済計画等に直接影響を及ぼしている。
 リビアの石油生産の歴史は比較的新しく、最初は、独立後の数年間にわたって、多数の外国石油会社により地質調査が行われた。
 石油発見は1958年であり、石油輸出が開始されたのは61年が最初である。
 その後、新油田が相次いで発見された。
 当時は、約30の外国石油会社が生産にあたり、これらの会社に積極的に利権が与えられたことにより、生産活動は急速に活発化し、70年には1億5,920万トンの生産を記録し、世界第6位の石油産出国となった。
 69年の革命後、石油政策は急変し、外国石油会社の資産・利権が次々と国有化され、総生産量の60%をリビア国営石油公社(NOC)が取得できることになった。
 95年の原油生産量は、月間560.8万トンで、世界第14位となっている。
 なお、リビア原油の確認埋蔵量は88年1月現在211億バレルと公表されている。
 天然ガスの埋蔵量は、85年現在6,000億m3と確認されており、年間生産量は平均300億m3に達しており、外貨獲得源となっている。
 このほかに、鉄鉱石、カリウム、マグネシウム、硫黄などの埋蔵も確認されている。

 

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