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(1)一般事情
 アルジェリア民主人民共和国は、1962年、フランスからエビアン協定により独立している。
 その国土面積は2,381,740k?(日本の6.3倍).で世界第10位の広さの大国ではあるが、その80%以上は砂漠と不毛の土地である。
 人口は2,297万1,000人(87年4月)で、首都をアルジェ(人口152万人)におく。
 言語は、アラビア語が公用語で、その他ベルベル語、フランス語などが使われている。
 宗教は、人口の99%強がスンニ派イスラム教(国教)である。
 人種は、アラブ人が大宗を占め、ベルベル人を含めると約99%、ヨーロッパ人が残りの1%である。
 アルジェリアは、独立当初、社会主義を推進したが、国内暴動の激しくなった1988年には社会主義路線から脱却し、政治・経済改革を行った。
 それまでのイスラム教に基づく社会主義体制は憲法改正によって放棄され、また独立以来の民族開放戦線(FLN)による一党独裁体制を廃止し、複数政党制を導入した。
 しかし、1990年におこなわれた複数政党制初の統一地方選挙でイスラム原理主義政党のイスラム救国戦線(FIS)が勝利をおさめ、民主化政策を進める政府に対する障害が顕在化した。
 FISと政府の対立は、FISの聖戦呼びかけ以来悪化する一方で、1991年12月の人民議会総選挙ではFISが圧勝をおさめた。同選挙後、大統領が辞任し投票は無効とされ、1992年初頭に軍部の主導により最高国家評議会が設置されてFISを「非合法政党」と宣言し、同党の主要幹部を投獄した。
 以後、同評議会が大統領に代わって事実上の全権を掌握することになる。
 以来、「暫定軍事政権」体制が続いた後、ゼルーアル将軍(事実上の国家元首)が1995年の複数政党制、普通選挙による大統領選挙で選出され、初めて合憲的な大統領が生また。
 一方、テロリストと治安部隊の攻防は拡大する一方で、1992年以来、テロにより市民4万人以上が犠牲になっていると推定される。
 アルジェリアのテロ組織としては、FISの過激派によって組織された救国イスラム軍(AIS)で、AISは北部の山岳地帯を中心に軍隊、官憲に対する斗争を開始、ついでAIS以上に過激なイスラム集団(GIA)が台頭し、知識人、ジャーナリスト、軍政権支持者、外国人を主に標的としてテロ活動を展開している。
 97年初めのラマダン(断食の月)の期間だけで、約300人の一般市民がイスラム原理主義テロの犠牲となり、状況はさらに緊迫している。合法的な国家制度を確立するために選出された現大統領の緊急課題は、テロ撲滅による早期内政の安定化となっており、今後、軍部によるテロ撲滅対策が合法的なものとして一層強化されるとみられている。
 アルジェリアの経済構造は、炭化水素部門に大きく依存したものとなっている。その資源埋蔵量は天然ガスが94年で約3.6兆?で世界第8位、石油が約12億トンで世界の第14位となっている。
 このため、アルジェリア経済に占める依存度は高く、90年には名目GDPの構造比で炭化水素が23.1%を占めた。
 独立以降、一貫して社会主義的体制が続いてきた同国は、89年2月に民主主義・市場経済への移行を発表し、社会主義との決別を宣言した。しかし実際には、貿易の自由化は進展したものの、依然工業生産の90%は公的部門によって占められている。
 70年代まで政府は重化学工業重視の政策をとってきたため、石油・天然ガスのGDPに占めるシェアは30%を超え、石油ブームと供給過剰の間で常にゆれ動き、それからの脱却が緊急課題となっている。
 80年代に入って非炭化水素部門の産業振興に政策を転換し、特に農業の振興に努めている。
 しかし、総輸入の20〜30%は食料であり、工業化重視のため衰退した農業生産の回復は順調ではない。
 経済構造の急激な転換は困難を極めているが、GDPに占める炭化水素部門比率は80年代に入り僅かながら減少傾向を示している。90年以降は外貨不足により、必要資材や原料の輸入が制限され、製造業に大きな打撃を与えた。
 このため、炭化水素資源へのGDP依存率が再び上昇している。
 91年のGDP産業別構成比によれば、農業14.1%、鉱工業54.5%(うち製造業39.2%)、サービス業28.8%であった。
 人口増加率が3%と高く、人口構成は典型的ピラミット型で、若年層が多く(全人口のうち30歳未満が75%を占め、20歳未満だけで50%を超える)、そのため若年層の失業率も高く、雇用創出が大きな課題となっている。
 88年10月の暴動、90年以降のイスラム原理主義の活発化は、これら若者の不満が主因であった。
 政府は、これら若者層と国民の不満解消を図るべく経済改革の実行を公約した。(これが89年2月の民主化・市場経済移行宣言につながっている。)
 96年の経済は、前年と同水準の4%の実質GDPの成長率となり、外需主導の安定成長軌道に乗りつつある。
 この背景には、炭化水素資源の増産が進み、油価上昇を追い風として生産・輸出を大きく伸ばしたことがあげられる。
 アルジェリアのGDPの40%、財政収入の60%、輸出の大宗を占める基幹産業である炭化水素部門は北米・欧州の石油資本が国営炭化水素公社(ソナトラック)と合併で積極的な資源開発投資を進めたため、96年に原油が前年比6%、天然ガスが同7%、コンデンセートが同3%%それぞれ生産量を伸ばしている。
 この結果、同部門のGDP伸び率は8%に達した。  油価についても、国産代表油種の年間平均価格が前年比23%高の1バレル当たり21.7ドルと高水準で推移し、石油税収増を背景に財政収支は対GDP比4%の大幅黒字となった。
 天然ガスは、78年に石油の生産量が低下しはじめた頃から、アルジェリアの主要輸出品目になった。
 天然ガスの主要生産地であるハッシルメル田で全体の約70%を産出している。89年には、フランスガスの31%、スペインガスの70%をアルジェリア天然ガスが供給しており、1998〜99年には天然ガスの輸出量は年間600億?に達する見込みである。
 天然ガス輸出先市場として、ヨーロッパに目標をしぼっており、ヨーロッパのエネルギー需要増加を見込んで、液化天然ガス施設の近代化、輸送インフラの整備向けの投資として1997年以後、5年間で179億ドルが必要になるものと見込まれている。
 なお、94年末現在、原油、天然ガスの確認埋蔵量はそれぞれ12億トン、3.6兆?、また、それらの世界総計に占めるシェアは、それぞれ0.9%、2.6%である。
 一方、94年の原油生産(NGLを含む)は130万バレル/日、天然ガス生産は4,530万石油換算トン/年である。
 95年のアルジェリアの原油生産は、平均日量76.5万バレル、前年比3.4%増、また、天然ガス生産は年間513.5万m3、前年比3.1%増、といずれも増産に転じた。
 この背景には、外貨収入増に向け炭化水素資源の増産を目指す政府が、国営炭化水素公社(ソナトラック)を通じて外国企業に鉱区売却を行い、新規油田・ガス田開発が進展していることがある。
 96年に入り、カナダ・ペトロカナダ社、米国・LL&E社、イタリア・アジップ社、スペイン・セプラ社がそれぞれソナトラック社と共同で新規油田・ガス田の試掘に成功し、5万バレル/日を超える増産が可能となった。
 他方、ガス部門については、アルズー、スキクダの2つの液化工場の改修・増強が96年中に完成し、輸出向け液化ガスの増産が見込まれる。
 また、96年5月にはハシ・ルメル〜アルラール間のLPGパイプライン(年間輸送能力700万トン)が完成したほか、96年第4四半期にはモロッコ、スペイン、ポルトガル向けに天然ガスを供給するマグレブ・欧州パイプラインが完成する予定で、当面、年間30億?が輸出される。
 さらに、チュニジア経由でイタリアに天然ガスを供給するパイプラインの増設工事も95年に完成しており、現行の年間120億?の輸出量の倍増が計画されている。
 農業部門も96年は天候に恵まれて、生産も前年比5%増と好調に推移し、実質GDPの13.2%を寄与している。
 主な生産品目は、小麦、大麦、豆類、かんきつ類、デーツ、ワイン等である。
 製造業は、内需低迷が続く中で、対GDP比9%減となり不振にあえいでいる。

 

 70年代の経済計画の要であった工業部門は、80年代に入って投資額の割り当ても減少し閉塞化している。
 80年代後半に軽工業省は、民間製造企業の拡大を中心とする計画を、90年代には高度技術化を目指して80%の製造部門の民間及び外国企業への開放計画を発表したが、実質は50%にも満たない設備稼働率のため、製造部門の成長は進まず依然として工業材料、完成品を輸入に依存している。
 政府は、96年にインフレ抑制を通じた消費拡大に向け、為替レートの安定化と高金利政策の維持に努めた。その結果、年間消費者特価上昇率は前年より11ポイント低い21%に圧縮されたが、その一方で、民営化の進展により年末までに87企業が清算・操業停止に追い込まれ、雇用不安が広がったこと、住宅設備など景気対策の実行が遅れたこと、イスラム原理主義過激派のテロが激化したことなどから、最終消費は同1%減、国内投資は同16%減と内需は冷え切っている。

 

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