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剣詩舞の研究

現代剣詩舞を考える  石川健次郎

 

本稿では主に「剣詩舞コンクール」の課題曲にスポットを当てながら、その作品に対する詩文の解釈や舞踊表現に於ける構成・振付けの考え方を述べてきたが、それらの理念には常に現代に通じる“剣詩舞像”を目指してきた。

ところで、財団が設立され二十五周年を経た現在、その求める“現代剣詩舞”の理念とは一体如何なるものか、今回はこれをテーマに考えてみたいと思うが、まずその前提として「剣舞」「詩舞」の歴史や他の古典芸能との関係について復習し、続いて既に歩(あゆ)み出した剣詩舞の“現代化の道”について再考してみよう。

 

【剣舞の歩み】

剣舞とは、吟詠に合わせて刀や扇を持って舞う舞踊である。しかしその振りには一般の日本舞踊とは異って、古武道の型を尊重した独特の動きがあり、また演技者には武人としての気迫と格調が見られる。

剣舞に影響を与えた剣術、居合術などの武道には古来よりの刀法や礼法があって、それが剣舞の刀の差し方(帯刀)、抜き方、納め方、振りかぶり方、斬り方、突き方、構え方、足の踏み方、腰の据え方などの基本動作に取り入れられ、さらに芸術的な磨きがかかって舞踊としての発展をとげてきた。

さて広義の剣舞は大変古い時代に始まり、奈良・平安時代の舞楽に「太平楽」など剣を持った舞の原型を見ることができる。また同時代に起こった神社の神楽(かぐら)には「剣舞(つるぎまい)」が伝えられているが、このほかにも室町・江戸時代の「風流舞」とか郷土芸能の「剣舞(けんばい)」や「太刀踊り」など刀を扱った舞踊は各地に伝承されてきた。しかし、これらの剣舞はそれぞれ異った音楽の伴奏で演じられ、吟詠によって演じられる「近代剣舞」とは一線を画(かく)すべきものであった。

吟詠伴奏による近代剣舞の誕生は、一般には幕末とされているが、実際は明治維新以後に榊原鍵吉が始めたというのが定説になっている。榊原鍵吉は幕末の動乱期を剣一筋に生きた剣士だが、一方大変なアイデア・マンで、当時職を失った武芸者たちのアルバイトである“剣術試合”の余興に、その頃大衆が好んで吟じた勇壮な詩吟に振りを付けた「剣舞」を考案して好評を得たが、これがきっかけとなって吟詠と提携した剣舞を試みる人が次々と現れた。

さてその中で、明治二十三年にこの剣舞を芸道としてまとめたのが鹿児島出身の日比野正吉(初代雷風)と、高知出身の長宗我部親(林馬)の二人である。この二人はその後、日清戦争の頃に、さらに意欲的な活動を展開し、日比野雷風は「神刀流」としてその芸風をまとめ、長宗我部林馬も「土佐派弥生流にとして大きな進展をみせた。

この両派の発展が剣舞隆盛の導火線となって、至心流、金房流、敷島流、さらに武正流、神刀無念流などの流派を生む結果となった。

しかし太平洋戦争の敗戦によって剣舞は一時中断されたが、世の中がおちつくと共に再び芸道として認識されてきた。

 

 

 

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