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西欧諸国は新大陸から安価な食料の供給を受け、またわが国は植民地化した朝鮮半島や台湾からの移入米などにより成長の罠から離脱しえた。しかし今日の開発途上国は、こうした解決策に期待することはできない。もしここで食料輸入により需給バランスを回復しようとすれば、それは外貨準備高を減らすことになり、輸入代替工業化に不可欠な資本財や技術の輸入が制約を受けてしまう。その結果、やはり工業化が頓挫することになる。こうした外貨制約による工業化の停滞を「外的罠」とよび、賃金制約による「内的罠」と区別しておこう。この枠組みは、過剰労働を抱える経済が離陸を試みるときに、農業部門が工業部門に及ぼしうる影響を考察するための有効な視点を提供している。

インドは、独立直後から、急速な人口増加による慢性的な食料問題に悩まされていた。しかし、60年代半ばに発生した2年連続の旱魃により食料問題が危機的事態にいたるまで、農工間交易条件(第1-4図)は農業に有利に振れるどころか、むしろ悪化していたのである。この時期の第2次・第3次5カ年計画は工業優先戦略を採っており、工業化のための安価な食料供給が要請されたためである。そのために、食料不足は輸入で賄われることになった。1人1日当たり穀物消費量(豆類を含む)をみると、農業危機(1965/66年度)以前10年間の平均は450.45グラム(標準偏差SD=19.74グラム)であり、その後の1967/58-1994/95度までの458.65グラム(SD=24.90グラム)とほぼ同水準にあった。
しかし60年代半ば以前の水準は国内供給のみにより達成されたものではなく、食料援助も含めた大量の穀物輸入によるものである。穀物輸入は50年代後半から本格化して、総輸入額に占める穀物輸入額の比率は1960年代にはいると常に10%を上回るようになった。これは工業化にとっての外貨制約を強めることになる。そして農業危機の発生した1966/67年度では、総輸入額の31.3%が穀物で占められていた。穀物輸入量は、米の場合には国内で市場化される量の10%以下であったが、小麦では50年代後半から100%を超え、1966年には230%にも達している。穀物輸入が穀物の国内需給バランスの回復に与えた影響の大きさがわかろう。

 

 

 

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