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高千穂神楽の「神おろし」は次のように言う。「そもそも今日の御神楽に詣りて拝み奉る当国の鎮守、十社大明神、三田井三社…」さらに神の依り代となる「御神屋(おこうや)」始めは、「さればその御時より八百万の神達は岩戸の日に集りて、天に仰ぎ地に伏して歎き悲しみ給えども、明らかな御夜とは更になし、その時手力雄命(たぢからのおのみこと)…」の如く高天原の神々の名を唱える。さらに十社大明神は御毛沼命のこととされているので、高千穂神楽で祭られる神々は明らかに正統的大和朝廷の神々だ。

高千穂に在住したすぐれた郷土史家、小手川次郎氏(故人)は、高千穂神楽において天神七代の主神を国常立尊としていることに言及し、榊を神の体とすることは大和系天孫族共通の信仰であるが…<中略>…国常立尊を主神とすることは、神楽が「くに」の為のものであることを立証する、としている。(「高千穂神楽」昭和51、私家版)

高千穂神楽を中心とする祭りは、五行思想、妙見信仰、山の神信仰などを包摂しながら次第に正統化、体制化の道をあゆんでいったのだろう。

高千穂神楽における「山の神」のあり方はこういった正統化の道筋の傍証である。高千穂神楽において山神が登場するのは神楽三十三番のなかの「山森」においてだ。

四人の竜王の舞につづいて山の神が鹿を引いて舞い出、鹿を放して舞い終る。小手川氏によれば問題は山神の片襷(たすき)という姿だ。主水(もんど)、妥女(うねめ)、内膳司など神に仕える人は皆襷をかけた。すなわち山神は神としての扱いを受けていない。その証拠に山神は千早をつけていないのだという。

私は「まつり」の語源は「まつらう」にあると考えている。「まつらう」は「貢物を献上し続ける」という本意から「服従する」という意になる。「まつろわぬ」者が「まつろう」音になって神に捧げ物をする、それが「まつり」ではないか。

もちろん、こういった祭りに先立つ山人たちの切なる山の神への信仰があり、それにともなう原初の儀礼もあった。こういった信仰を含む山人の生活を推し量るのは容易ではないが、その一端を私なりに考古学的遺物と九州脊梁山脈に点々と残る伝承から探ってみる。

 

◎山姥の原初的伝承◎

 

高千穂の代表的遺跡に陣内遺跡がある。高千穂鉄道の高千穂駅の北々東にある。ここから出土した資料の大半は縄文後期から晩期にかけての土器で、特に第四層からは多量の土器や打製石斧と共に土偶や石棒が出土した。

殊に縄文後期後半の土器と共に出土した土偶は腰の近くまで降起しながら垂れる巨大な乳をもち、下腹部も大きく膨らんで妊娠した女性をあらわしている。この遺跡の同じ地層からは男根をあらわす石棒も出土していて、上欄も石棒も縄文人の豊饒への願いとされる。

私もその通りと思うのだが東靖晋(あずまやすゆき)氏はこの種の土偶と九州脊梁山脈一帯に色濃く残る山姥伝承を挙げて大体次のように論ずる。

脊梁山脈には乳が大地に垂れるほど長く大きい山姥の話が多い。五家荘には山姥のお産を助けた老女が山姥から金子をもらう話、椎葉の日添(ひぞえ)にはバッチョ笠を風に飛ばされた男が笠を追ってゆくと乳のたわっているヤマオナゴに逢った話、さらに五家荘下流の五木村には焚火をしていた山師たちに山女がやってきて乳をひろげてあぶった。一人が火の中の焼いた石を乳に投げこむと女は山が崩れるような音を立てて逃げていった。

さらに東氏は五家荘の平家の落人、鬼山御前には落人の面と巨人な乳房の山姥的側面のあることを指摘、これらの山姥は焼畑と関係の深い縄文土偶の子孫であろうと結んでいる。

ここまで推論してくれば谷川健一氏の『鍛冶屋の母』に触れないわけにはいかぬ。谷川氏は越後弥彦山周辺に伝えられる鍛冶屋弥三郎の母、渡辺綱に腕を切られた頼光の母、坂田金時の母の山姥など鬼女的存在を例にあげ、これらの鬼女伝承が金属精錬と関わることを立証し「鍛冶屋の母」としたのだ。

 

 

 

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