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山口……演劇集団の黒テントや赤テントも新宿梁山泊も終わるとばらしていく。見世物と同じ感覚です。

坂入……非常にスッキリするんでしょね。その気持ち良さのために作ってぶっ壊している。

山口……郡司正勝さんが、『風流の図像誌』のなかで山をとりあげていますが、見世物は山で作られる。山は風流なんですね。一過性の面白さです。

 

◎美術史の文脈から◎

 

山口……木下さんの見世物の仕事を最初に見たのは、『月刊平凡百科』でした。腰抜かすほど驚きました。私がやろうとしていたテーマでした。学者が見世物という言葉を口にしただけで、その資格を失う風潮の中、具体的な仕事のなかで見世物を定着させてしまった功績は大です。蝋人形、人形師の明治の史料を着実に集めました。青木茂さんの影響でしょうか。会津若松の栄螺堂と時期を同じにして、高橋由一の螺旋展学館の構想が生まれるのです。それを紹介した北沢憲昭さんの『眼の神殿』を、東大駒場で一年間、比較文化を教えていた時にテキストにしました。北沢さんと木下さんと並行してこれまでの美術史のコンセプトは全く違ったところから出てきたことに驚いたのです。木下さんのテーマは、浅草の見世物で構成された世界が日本の近代美術史にとってどれほど面白い意味を持っているかということです。

金曜日の午前十一時に小川町の古書会館へいくと、必ず大きな声が奥の方から聞こえてくる。それが青木茂さんです。今、町田市立国際版画美術館の館長さんですが、過去三十年間、とことん資料を発掘し尽くした感があります。美術史として対象にならない資料がどんどん出てきた時期があったのです。美術館で人を馬鹿にする時に、こんな見世物に過ぎないという表現を使うのです。そういう表現の扱いでしかしなかった見世物を、美術史の中で全然知られていない文脈を取り出してくる鍵があるということを示した。

木下……本のタイトルに「見世物」を使うことは、見世物研究以外ではなかったかもしれません。見世物は見世物研究者が研究してきたに過ぎなかったからです。ただ朝倉無聲の『見世物研究』が出版された昭和の初めには、見世物ばかりでなく、大衆文化全般に目を向けていく土壌というか、気運があったようですね。

山口……大正時代に朝倉無聲がバブルの残党、大正アバンギャルドが震災後に都市の復興の時に展覧会を作る覧会屋、表装やファッサードなどをやっていた時、ちょうど美術はダダイズム全盛時代で、梅原北明といういかがわしい人物と協力して都市に対してバラック性を指名していた時に美術と出会っていた。美術の持っている仮設性そのもの、装飾性を一緒に共有していた。MAVO(マヴォ)にいた田河水泡は漫画の方にいた。ところで、マヴォの田河水泡を中心とした展覧会が町田市の博物館で来年(1999年)二月行われるそうですが……。漫画も紙芝居と同様、明治の二十年代から制した正当美術に対して、仮設的な芸の形態として捉えてきたと思うのです。今の時代は、仮設で始まったものが、若者たちはかえって正当性を感じている。漫画の盛況となっているのもその傾向の現われです。見世物を前面に出していた大正時代の面白さが段々分かってきたのではないでしょうか。

木下……最近知って驚いたのですが、MAVOの最初の展覧会が大正十二年に浅草寺の伝法院で行われたのです。今から考えると、アヴァンギャルドの連中が浅草で展覧会をやるというのは不思議な感じだけれど、もともと伝法院はそういう場所だったのかと思います。メンバーのひとり門脇晋郎という人が、浅草で興行師をやっていたらしいのです。山口さんのお好きな淡島椿岳が明治初めに覗眼鏡で大儲けしたのも、伝法院のすぐ裏ですものね。

山口……両国の回向院が相撲という見世物の場所であった。伝法院はそれと同じ意味があった。

 

 

 

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