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*春子さん(六一歳)…里美さんの妻。一二歳の時に長崎で被爆。その後、旅回りの一座に参加。今でも被爆者健康手帳を持っている。

一座を切り盛りしている。

*フクちゃん(六一歳)…知的障害者。集団就職で紡績工場に働いていたが、折檻を受け頭がおかしくなったという。ルンペンをしていたところを拾われ、見世物小屋で〈たこ娘〉として出演するようになった。

*カズさん(六三歳)…知的障害者。やはりルンペンをしていたところを拾われた。生まれたとき土間に落とされ、頭を打ちおかしくなる。出産の折り母親は死亡。ビクバラシという首だけ人間になって、見世物小屋の外で客を寄せる役どころを担う。

*秀義さん(六一歳)…小屋掛けの責任者。片足が悪い。丸太を組み仮設の見世物小屋を建てる技術は天下一品である。

*ナミちゃん(六三歳)…他の見世物小屋多田興行から借り受けられての出演。小人。下半身に障害を持つ。ある時は〈イノシシ娘〉、ある所では〈ウシ娘〉の名で、四歳の時から見世物小屋を渡り歩く。牛やイノシシの足格好に似ていることからきているのであろう。今回は山鳥娘の名で出演する。

・その他、運転手兼小屋掛けと犬の演芸を担う春子さんの弟陸男(五二歳)さん、手品師の長崎さん(八一歳)、アイヌの血を引くという手伝いの文夫さん(五一歳)がいる。この三人は健常者である。

こうみてくると、一座の九人のうち六人までが身体のどこかに障害を抱えた人たちである。

 

◎見世物小屋が救う。◎

 

かつてはどの見世物小屋も身体障害者を抱えており、異界のイメージを醸し出すのに一役買っていた。見世物小屋はそうした人たちの寄せ集まり場であった。

このような障害を持つ人たちを、世の中の誰が救いの手を差し延べてきたのだろうか。家族も地域も病院も、宗教の奇跡によっても救われなかった人たちが、食べるということ、生きていくということを自分の手でやろうとするとき、そこに見世物小屋があったのだ。見世物小屋が彼・彼女らを養い、生活の場とさせ、救ったのではないか。ここの一座の人々の生きざまをみていると、そんな思いがしてくる。

こんな話を聞いた。フクちゃんのことだ。だいぶ前のことだが、八月の三島神社の大祭に見世物小屋を張ったとき、春子さんはフクちゃんの家族、兄弟衆を呼んで会わせたことがあったという。二十何年ぶりに涙の再会を果たしたその折りに、ここから連れていくのなら連れてって下さいと伝えたが、結局は家族の誰も引き取らなかったという。もちろんそれぞれの人たちに事情というものがあろう。経済的な理由ご面倒を看れないということもあったかもしれない。親戚や近所の目を意識し、蔑みや偏見にさらされることを避けたのかもしれない。六歳の知能指数というフクちゃんを、結局見世物小屋が引き取らざるを得なかったのである。こここそフクちゃんの居場所であり、活躍場所である。見世物小屋に通って脇から見ていると、春子さんたちはよく面倒みているなあと思うし、フクちゃんも頑張っているなあと感心させられる。

やはり六歳くらいの知能指数だというカズさんがいる。割合に裕福な家で育ったということだが、一度春子さんはカズさんを連れて訪ねて行ったことがあるという。兄弟が家に帰るかどうするかと、くどいほど聞いても、見世物小屋の方がいいと一生懸命言い張り、付いて来たという。たとえ何不自由なく家族と生活できても、自分を必要としており、それによって気兼ねなくメシが食える場所がいいと本能的にわかっているのではないだろうか。

 

 

 

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