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兄弟分………三五年前、安田里美さん(安田興行社)と兄弟分の杯を交しました。私のオヤジと安田余七とはやはり兄弟分でした。安田里美さんとは酒を飲むとよく暗暉をしました。仲直りすると兄弟分になってしまうことがよくありました。その頃、里美は兄弟分がいなくてね、何でも私を頼ってね……。よく遊びにも行きました。悪いことも一緒にしました。その頃は、まだ目が見えた。兄弟になって、五、六年してから見えなくなったのです。

分方稼業………この商売(仮設興行、露天商)は、一が場所で二が根といわれています。場所がよければ根がいいわけです、だから啖呵をきれる。しゃべる。お客が来なければ、しゃべりもしない。

私などは、昔からやっているから、いい場所に興行の権利が得られる。興行場所は私が責任を持っている所と、坂田春夫さん(会津屋)と一緒に持っているところがあります。千住、麻布十番、碑文谷、お台場、靖国神社、新宿、高田馬場、京王線の聖蹟桜ヶ丘などです。浅草は吉本興行です。

昔は興行のサーカスをボンとつけて、中荷(見世物など)をつけ、その次に小物をつけて、そうすれば今度、コロビ、ジンバイが来る。土地に戸板を並べて商売するんです。興行が一番権利があったのです。興行に従ったのです。興行をやる人(荷主)が、、場所を借りておくれと、丸太も手配し借してくれと頼む人を世話人というのです。必ずそういう人をおいていたのです。大体地元の有志、名士に顔がきく人です。つまり分方です。

サーカスは大荷といって一番権利があった。どこの世話人(分方)でもどうぞどこでも使って下さいといわれるくらいです。サーカスをつけると、中荷、小物がつき、飴売ったり、風船売ったりする露天が寄ってきます。サーカスの傍では人が集まるから人気が高いのです。

ところが今では逆だ。ジンバイ、コロビ(露天商)の方が強くなちゃた。興行が「すいません、あの隅を貸して下さい」とあべこべになってしまった。

例えば大寅さん(大寅興行社)が新宿の花園神社で興行するとします。まず、大寅さんが興行してもよいかと、私に尋ねてくる。そこで私の方は九太を用意します。それで、収益の分配も決めます。大体荷方が六割で分方が四割です。しかし土地代、電気代、丸太、バンセンなど小屋を掛けるまでの費用は分方持ちです。消防署への届けもします。荷主は自分で掛けて、商売して、終わったら壊して帰るだけ。だから荷主にも人数は要ります。分方は丸太だけ持っていればいい。興行師は分方を頼ってくるのですから、電気代払って地代払ったらなくなっちゃった、というように分方が損をする場合もあります。配線などの電気工事も分方が手配して行います。各神社へは、使用料を献納します。

日本仮設興行組合が国から認可を得たのが昭和三十数年です。以前から組合はあったのですが、ようやく正式に市民権を得たのです。

 

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昭和四年三月「民俗藝術」(「見世物小屋に就いて」岡師嘉彦)に発表された早川興行部「唯一技藝団」の正面図

 

 

 

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