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室町時代ノ金石文資料ハ天正迄一括シテ渡辺氏へ廻シタル筈ナルガ、原稿ヲ見ルニ採入ナキヲ見レバ或ハ停滞カ、至急御報ヲ乞フ、南北朝ヲ主トシタル金石資料ハ花見氏手ニテ東京博物館拓本卜照合シテ採否ヲ決スル筈、此内ヨリ室町時代ニ廻ルモノモアラン、

(以下、布施ノ筆カ)

○大正十四年三月十二日花見氏ニ交渉ス、近日引渡云々、(墨)「三月十二日返」

右は義彦が校正作業中だったのか、朱筆の葉書。内容は作業の流れについてである。

○刈羽ノ槙原ハ牧原ノ古称ニ倣フテ新村名トナリタルモ、其後廃シテ現今ハ西中通村、今又町村合併ノ議アリ、早晩又々変更カ、新村名ハ元ヨリ根拠ナク朝令暮改大ニ迷惑ヲ生ズ、自然ニ出来タル聚落ノ名ノ大字ガ今日ノ処標的ニハ稍永久ノ感アリ、普光寺ハ大字「下原」ニ在リ、

○文明十六年ノ検地帳ノ条一宮大宮司ノ傍註ニ(村松)ヲ加フルコト、地名についての義彦の見解がうかがわれる。現行の巻二をみると、三ヵ所の「普光寺」に(刈羽郡槙原村)同二八八ページの「一宮」に(村松)と傍注が付いている。

○棟札ハ後世ノ偽作ラシク見ユ、此レヲ以テ立条スルハ最危シ、シカレトモ今収ハ左迄ノ事モナク他ノ参照ニモナランカ、

これは、同巻六八二ページに『刈羽郡旧蹟志』から鵜川神社棟札を引用するについての率直な悩みである。

その他、指示は大方針から一字の採否にまで及び、義彦が全てにかかわっていたことを明らかにしている。

 

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『越佐史料』の原稿((財)北方文化博物館蔵)

 

越佐史料頌 義彦が私財を投じ鏤骨の苦心を重ねた「越佐史料」は、その後の研究の進展により訂正を要すべき箇所も出てはいるが、逆に戦災などのためもう本書でしか知り得ない史料も多く、何よりも的確な史料操作をもって、今も世評は高い。自治体史編纂などで日夜学恩を受けている同県人の私たちが論じては身贔屓ととられかねないので、以下では、近年『越佐史料』を利用した第三者の感想二例を引いてみよう。

一は、『神奈川県史』資料編中世が終った時の座談会(同県史だより21)における百瀬今朝雄の発言である。

あの古い時期に、よく年次をつけて、綱文を立ててやっているでしょう。(中略)内容を理解しなくちゃいけないし、間違いが出ちゃいけない。あれは本当によくできている。偉い仕事をなさったものだと思いますね。あの年代であれほどいい資料集というのは、ちょっとありませんね。

二は、黒田日出男『謎解き洛中洛外図』(岩波新書)である。上杉本洛中洛外図は天正二年に織田信長が謙信に贈ったものとする『越佐史料』の説に対して、その後さまざまな異論が出たが、それらを逐一検討した黒田は、『越佐史料』を手掛りに新史料にたどりつき、『越佐史料』の綱文の正しさを再確認する。彼は、わざわざ「地方史の金字塔越佐史料」という一項を設けて次のように書いている。

戦前の地方史史料集としては最高水準のものであり、『大日本古文書』家わけ上杉家文書や『新潟県史』資料編などが刊行されている現在でも、越後や佐渡のとくに室町〜織豊期の歴史を調べるのにはもっとも有用な史料集でありつづけている。

中道に倒れはしたが、義彦、もって瞑すべきであろう。

<郷土史家>

 

 

 

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