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ですから、彼らはみんな実証的でかなり自由な学風でした。五峰が後に『北越詩話』を著した時、水原町出身の市島春城が跋文を寄せ、「新発田の道学堂が厳に異学を禁じたにも拘はらず、一歩新発田外に出れば何処の私塾でも大抵朱子学ではあったが、而も彼の偏僻なる闇斎学を奉ずるものは一人もなかった」と述べているような雰囲気が、東伍や五峰の同辺にありました。

谷川…『大日本地名辞書解題』を見ると、旗野士良(十一郎)の文章に小川弘(心斎)のことが書かれています。旗野が言うには、吉田東伍は小川心斎の『日本国邑志稿』が、未完成のままに放置されているから自分が補修し、索引をもうけ、『地名辞書』を完成させたいと申し出たとありました。東伍が『大日本地名辞書』を編纂しようと試みた最初の動機はそこのところでしょう。

井上…藩や政府の編集する官選の歴史・地誌ではなくて、在野の人の手になる野乗・野志です。

谷川…小川心斎の『日本国邑志稿』は現存しているのですか。

渡辺…東伍記念博物館に展示してあります。ただ、全部じゃないんです。ほとんどは、『大日本地名辞書』に吸収されてしまいました。鋏で切り張りしていたのです。

井上…大分引用しています。

渡辺…切り張りされなかった冊子が吉田家に残っていました。六十数冊あったと言われているうちの五冊です。

谷川…その五冊の内容はどうでしょうか。

渡辺…十数の項目に分かれていて、例えば国郡、政治、人物、風俗、物産とかです。一綴りが百枚ぐらいです。項目的にはむしろ『大日本地名辞書』を凌ぐほどの内容だと思います。走り書きじゃないのです。小川弘の原稿に旗野十一郎が、どうやら手を加えたものと思います。さらに筆致をよく見ると、東伍も手を入れているのです。

 

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阿賀野川風景

 

 

 

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