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2-3 泉南地域の歴史遺産の分布と活用事例

 

(1) 泉南地域の歴史遺産の概要

泉南とは旧和泉国の南半部をさしており、茅淳(ちぬ)というのが最も古い地名であるが、大和朝廷のもとでは河内国造凡河内直(かわちのくにのみやつこおおしこうちのあたい)が和泉全域を管轄していた。古墳群も多く、岸和田の久米田古墳群、天神山古墳群から岬町の西陵古墳に到るまで数多くの古墳が点在している。

古代末から中世にかけては熊野詣の道筋として往来され、荘園も多く設置された。街道はこのように古来から京阪方面と紀州を結ぶ形で孝子越街道、熊野街道、根来街道、粉河街道があり、その名残を残す町並みがいくつか残っている。南北朝時代は南朝方につく在地勢力もあり、幾多の戦いが繰り広げられた。室町時代末期になると紀州の根来・雑賀の勢力圏にはいり、そのため石山合戦の際は織田信長の来攻を受けた。

江戸時代の泉南は、概ね岸和田藩に属し、岸和田にはその城跡が残るとともに寺社、町並みが少ないながら残っている。岸和田は勇壮なだんじり祭で有名であるが、これも元禄年間より伝わっている祭である。だんじり祭については岸和田だけでなく、泉南地域の各地で行われており、熊取町でも大森神社の祭礼として営まれている。また、貝塚には寺内町があり、現在も歴史的町並みが存在する。さらに、この地域には重要文化財の農家住宅が多く保存されているのも特徴の一つであり、熊取町の降井家書院と中家住宅、泉佐野市の奥家住宅、和泉市の高橋家住宅の計4件がある。

近代には、繊維産業が勃興し、本調査対象の中林綿布工場を初めとして、多くの鋸屋根・煉瓦造の工場が立ち並んだ。その多くは失われたものの、近代の邸宅等も繊維産業で財を得た資産家が建てたものが残っている。

開発が遅れてきたことが、逆に大阪府下にあって豊富な歴史的資産を今にとどめているという結果になっている。

 

(2) 活用の事例

泉南地域では従来は歴史的資産の豊富さに比して、歴史的建造物を活用した事例がほとんどなかった。各市町において、歴史資料館に類するものは整備されてきたが、多くは現代建築による新築であった。しかしながら、全国的な歴史的資産の保存活用の流れを受けて、最近いくつかの活用事例が見られるようになっている。

 

1] 公開民家

重要文化財あるいは市町指定文化財の民家がいくつか公開されている。重要文化財では唯一熊取町の中家住宅が公開され、各種イベントにも利用されている。また、市指定文化財では泉佐野市の旧向井家住宅が公開されている。しかしながら、多くが現在居住されていることもあり、公開数は極めて少ない状況にある。

 

2] 泉佐野ふるさと町屋館(旧新川家住宅)

泉佐野市で平成10年に開館したもので、熊野詣の街道町として、賑わいはじめ、江戸時代には町人文化を開花させた「さの町場」の新川家(にいかわけ・醤油業の町屋)の保存活用を図ったものである。本屋を保存公開するとともに、奥に伝統的な様式で資料展示やコミュニティスペースを新築したもので、江戸時代の暮らしの様子等を見て学ぶ施設となっている。

 

3] 愛らんどハウス(旧谷口邸)

田尻町で平成6年に開館したもので、「綿の国から生まれた綿の王」といわれた谷口房蔵氏(大阪合同紡績 元社長)が建てた邸宅であり、ヨーロッパスタイルの洋館と伝統的な和風住宅からなっている。特にステンドグラスに彩られたインテリアは素晴らしいものである。関西国際空港の開港の年に公開され、各種イベント(コンサート、展示会等)に広く活用されている。この施設も泉南が生んだ繊維産業の方によるものであり、現代和風の建築ではあるが、和泉市久保惣記念美術館も繊維産業の資産家が生んだ文化の結実であるといえる。

 

 

 

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