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6) 鷹見本雄蔵「越前国大野之図」古河歴史博物館保管 文政3年写 描写時期は確定されていない。

7) 前掲3)p865、832、834

8) 「大野屋敷割帳」『大野市史(第4巻)藩政資料編一』 昭和58年 大野市史編さん委員会 p1107

9) 前掲5)の「田村家系譜」の以下の記載により、1間が6尺3寸であることが確かめられる。「明治六年 四月屋敷坪数六尺三寸縄ニテ取調差出左之通表口二十三間三尺九寸裏巾二十四間一尺七寸奥行拾五尺七寸県此歩三百八十二歩三合」

10) 国立史料館所蔵「大野家中屋舗帳」『越前史料』所収によれば、大野への土井利房入部以前は、松平直明の家老斎藤甚左衛門(400石)が住んでいたことがわかり、転封後は、関采女、中山柳哲、岡田善右衛門、石田杢、岡源右衛門、岡田平兵衛、そして本論の平岡政右衛門と続く。これら藩士石高は200石〜150石であった。なお、斎藤甚左衛門に続く関采女、中山柳哲は「土井家家臣由緒書」には見当たらず、松平直明の家臣の可能性もある。

11) 田村家蔵 安永2年の「家帳」

12) 田村家蔵「地所賣渡證」明治39年

13) 当主の御子息の話による。

14) 田村家蔵「安永四乙未年ヨリ諸普請入用書抜」に「─安永四乙未年四月八日類焼ニ付(後略)」、「一覚政元年酉年四月十七日類焼(後略)」とある。『大野市史(第5巻)藩政資料編二』昭和59年 大野市史編さん委員会 p293 文政10年亥五月の類焼家屋として「三ノ丸長井四郎左衛門様、左合土之助様、御用人平岡伊織様、小林兵次郎様、御年寄田村又左衛門様、御奉行横田権三郎様、中村志津摩様、中御門番所留永五郎次」とある。

15) 田村家蔵「部屋絵図写」天保2年所中の文政13年の「御普請御注文仕様受負證之事」には「(前略)一西之方本屋取附絵図面之通ニ仕候」とあり、絵図面には南西部分に「本屋 元付赤印柱斗省」と記入され、本屋部分の柱が請負工事より除かれていることがわかる。このことから文政13年には 本屋が再建されていることが判明する。

16) 現当主の話による。

17) 「土井家職制帳」『大野市史(第4巻)藩政資料編一』 昭和58年 大野市史編さん委員会 p964

18) 前掲3)

19) 各室には畳敷きとの記入はないが、安永2年の家帳によれば、「拭板」と区別して「板椽」と記入されている部屋は畳が敷かれていることが確認できる。

20) 現当主より工事を依頼され、現場を担当した今西氏や当主の御子息の話による。

 

★参考文献

『大野のあゆみ』 大野市教育委員会 昭和43年8月1日

『滅びゆく民家』 川島宙次 主婦と生活社 1973年11月30日

『図説 日本の町並み』4.北陸編 太田博太郎他 第一法規出版 昭和57年6月10日

『福井県大野郡誌』 上・下編 大野郡教育会 臨川書店 明治45年6月13日

『大野市史』 藩政史料編二 大野市史編さん委員会 大野市役所 昭和59年3月31日

『日本城郭大系』 第11巻 児玉幸多他 新人物往来社 昭和55年9月10日

『越前大野今はむかしのものがたり』 坂田玉子 松浦印刷所 平成6年11月3日

『歴史と史跡大野』河原哲郎 松浦印刷所 昭和63年8月1日

『76ふるさとの思い出 写真集 明治大正昭和 大野』国書刊行会 昭和54年11月28日

 

 

 

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