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8. 大野の町並みについて

 

1) 大野の歴史的建築と町並み

大野市は、天正期の金森長近による大野城の築城や城下の建設以来、今日まで420余年の歴史をもっている。この間に生まれたり、一方で姿を消していった建築の数は計り知れない。しかし、幸いなことに大野の旧市街地には、長近の建設当時の町割や道路割・用水路などがよく残されており、長い歴史を物語る建築も市内のあちこちに残され、静かで、落ち着きのある町並み、景観を創り出している。

市内西北部の亀山山頂には、昭和43年に復興されたものであるが、城下町大野を象徴する大野城天守が聳えている。高さは約80余メートルあって、東西南北いずれの方向からも眼に入ってくるし、町中の通りからも仰ぎ見ることができる。まさに大野景観を代表する建築である。亀山の東麓にあった御殿や門などの城郭建築が現存しないのは惜しいが、城郭の周囲を巡っていた百間堀の一部が残っている。また、藩主土井家が使った御座の間が菩提寺の善導寺に現存し、藩主の隠居所も柳廼社社務所として移築・再用されていて、これらから藩主に関わる建築の様子を偲ぶことができる。

百間堀を隔てて城郭周囲を取り巻くように存在していた藩士たちの住宅つまり武家住宅も、家老クラスの旧内山家住宅が市によって整備・公開されており、今回の調査で江戸時代まで遡る田村鋼三郎家住宅も見つかった。また下級武家住宅の遺構として浅山家住宅も報告されていて、これらから藩政期の武家住宅や武家屋敷の一端を推察することができる。

そして市街地にあっては東西・南北それぞれ6筋の通りは、六間通りと石灯籠小路が明治期に拡幅されたのを除けば、他はほぼ城下町時代のままで、通りを挟んで伝統的な表構えをもつ町家が数多く残っている。すでに明らかにしたように、これら町家はほとんどが明治21年あるいは同32年の火災後につくられたもので、江戸時代に遡るものではないが、低い二階やその両脇にみられる袖壁、厚板葺きの庇、一階の格子などは昔ながらの町家の面影をよく今に伝えている。特に、朝市でも有名な七間通りは、こうした町家が軒を連ね、大野を代表する町並みや景観になっている。

 

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内山良治家住宅 内山良治所有 明治時代

 

 

 

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