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7. 町並みを形成するその他の歴史的建築

 

1) 大野城の建築

大野城は金森長近によって築城されて以来、明治を迎えるまで存続し続けた。亀山山頂には天守をはじめ数棟の櫓や焔硝蔵などがあり、東麓の二の丸・三の丸などには二の丸御殿や鳩門など多数の門、北・南櫓など多種の建築が存在していた。安永4年(1775)や文政10年(1837)の大火に代表されるように、大野城は創建以降しばしば大火に見舞われ、そのたびに城内の建物は焼失・再建が繰り返されている。

明治に入ると、封建制の象徴であった城郭は無用の長物とみなされ、城内の建物はすべて競売にかけられ、取り払われることになった。この時の記録である『元大野城郭払下入札人名帳足羽縣』によると、本丸建家、元県庁、旧知事住建家・土蔵、武場、第壱号〜第四号武庫、火薬庫、腰掛、厩、第壱号〜第七号番所、第一号〜第三号櫓、上町門・上本丸門・下本丸門・山下門・切手門・稲荷門・不明門・三ノ丸通門・槙番所前門、上・下追手通中門・水落門・鳩門などが競売入札されている。したがって明治初期には大野城内にこれら諸建物が残っていたことがわかる。

現在、旧大野城の跡地に現存する建物はないが、亀山山頂には昭和43年に鉄筋コンクリート造の天守が復興再建された。天正期の天守として丸岡城や犬山城の天守を参考にしてつくられたために、外観はいかにも古風であり、あたかも長近が築いた天守と見間違うほどで、今では大野の顔として市民や観光客に親しまれている。

また、二の丸の正門であった鳩門は市内犬山の光明寺山門として、不明門は中丁の真乗寺山門として移築され、現存していることが報告されている。

さらに、三の丸の東側にあり、城内と城外を分けていた百間堀の一部が整備されていることもわずかながら大野城の面影を偲ばせている。

 

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六 真乗寺山門 真乗寺所有 江戸時代

 

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