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1. 越前大野市の概要

 

1) 大野市の位置

大野市は福井県の東部に位置し、北東は石川県、東は岐阜県、南は岐阜県と大野郡和泉村、西は福井県足羽郡・今立郡、北は勝山市に隣接している。市域は周囲を白山の支脈に固まれた盆地で、東に赤兎山や願教寺山、南東に荒島岳、南に能郷白山、北東に経ヶ岳などの秀峰がそびえ、市域約27,000ヘクタールのほぼ8割を山林・原野が占めている。岐阜県境に源を発する九頭竜川が真名川・清滝川・赤根川を合わせて盆地のほぼ中央を南から北へ流れ、上流では九頭竜峡や真名峡をつくり、下流では約4,000ヘクタールの水田を潤している。

大野市は北陸気候区に属し、地形特性から内陸盆地型の気候である。冬は比較的長く、県内でも有数の多雪地域であり、寒さも厳しい。年平均気温は13.8度、年間降水量2,186mm(ともに平成9年の資料)である。昭和51年には特別豪雪地域の指定を受けている。

 

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2) 大野市の歴史

市域の東部にある右近次郎遺跡からは、縄文中期とみられる多数の土器や石器が出土しており、市域には今から4,000〜4,500年前にすでに人が居住していたことがわかる。古くは和良比夫(蕨生)、佐比良気(佐開)、佐加戸(坂戸)、若子(若生子)などの地名がみられ、平安時代には加美・資母・大沼の各庄名がみられ、当時の大野盆地は牛ヶ原荘園と平泉寺荘縄文中期とみられており、園が支配していた。ところが、平安時代の終わりごろには武士の台頭によって荘園は圧迫され、室町時代になると、斯波氏や朝倉氏によって支配されている。

天正元年(1573)の朝倉氏減亡後、一時、一向宗の支配下に入るが、織田信長が一向宗を平定し、その部将の金森長近が大野郡の大部分を統治した。長近は西北部の亀山とその東麓に大野城を構え、城郭の東側に武家屋敷、その東にそれぞれ南北方向に6筋、東西方向5筋の通りを設けて町人地を、そして東端に寺町を建設した。この町割の基盤は現在の大野市街地に受け継がれている。長近は天正11年に飛騨高山に移り、その後、織田・土屋・小栗・松平の各氏を経て、天和2年(1682)土井利房が入封し、以後、明治を迎えるまで土井家00代が継続した。

明治4年の廃藩後、同6年に区長・権長が置かれ、戸制などの変更があった。明治22年町村制が実施され、大野町と下庄・乾側・小山・上庄・富田・阪谷・五箇の各村が置かれた。下庄村は昭和26年に町制を施行し、昭和29年にこれら2町6カ村が合併して大野市が誕生した。さらに昭和45年に西谷村を合併している。

 

 

 

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