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集落再編整備事業として町内転居を促した。千手地区高原田地内に宅地造成を開始し、1972年には1区画平均240平方メートルの分譲地を16区画用意した。

企業誘致  企業進出第一号はハリマヤ運動用品・で1970年、中仙田に新潟支社仙田工場が、翌年に橘工場が操業を開始した。第2号は・大和伸管所新潟橘工場で1975年、第3号は・ジャルコ1980年であった。・キツダは・川西工業として、大東紡織・は新潟工場として1985年に操業を開始した。エイシン興産・魚沼工場1995年、・KND電器などがあった。これら企業誘致には固定資産税を3年間免除など優遇条件があった。

誘致企業は11社で電子部品、自動車部品組立、鋼材加工、繊維など。雇用者数305人、出荷額56億円。ほとんどが女性雇用型で若者の定住を促進するまでにはいたっていない。事業所数68、うち繊維28、従業員839、うち繊維192、製造品出荷額11,176,00万円、うち繊維1,821,00万円。

辺地対策事業は、過疎対策と並んで辺地性から脱皮することを目指したもので、川西町では仙田地区に集中して町道整備がおこなわれた。この結果、基準の上からは辺地性を解消した。

このような過疎のなかで、高倉国際村は注目された。この国際村は、慶応大学医事振興会による僻地診療班が仙田地区に1969年2月に入り、医療サービスに貢献したことに始まる。通称「松葉平」のこの国際村は、高倉集落西の一段高い斜面を造成して別荘地として開発したものである。診療班として来町した医師団が高倉の風土に魅力を感じたことに対して、町が医療奉仕活動に感謝する意味で土地のあっせん、道路整備、水道敷設、電力施設でこたえた結果、1973年に実現したのである。国際色豊かな入居者の顔ぶれから高倉国際村と呼ぶようになった。別荘の人達は地元高倉をはじめ町内の人々と交流を深めながら別荘生活を楽しんだ。

この国際村も開発以来30年を経過した現在では、所有者の世代交代もあり以前のように活発な活動はしていないようである。

 

[参考文献]

1 川西町史編さん委員会編「川西町史 通史編 上巻」

1987.3 川西町

川西町史編さん委員会編「川西町史 通史編 下巻」

1987.3 川西町

2 川西町史編さん委員会編「川西町史 資料編 上巻」

1986.10 川西町

川西町史編さん委員会編「川西町史 資料編 下巻」

1986.10 川西町

3 1998川西町勢要覧、平成10年度版川西町勢要覧資料編

1998.9 新潟県川西町

1996川西町勢要覧、平成8年度版川西町勢要覧資料編

1996.9 新潟県川西町

4 川西町「川西町克雪タウン計画-冬を快適に過ごすことへの工夫とチャレンジ」1990.3 川西町

5 川西町「第五次川西町総合開発計画 平成8〜17年」

1996.3 川西町

 

 

 

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