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第一章 土地柄-風土と環境

 

第1節 風土

 

雪との闘い-世界一の豪雪地

新潟県魚沼地方は世界有数の豪雪地帯である。このうちでも渋海川流域の仙田地区は世界一といってよいほどの豪雪地である。その雪は水分をたっぷり含んだベタ雪であって重く、気温が下がれば積もった雪は氷に変わる。

終戦の年、昭和20年(1945)は記録的な大雪であった。十日町盆地の最深積雪量は4mを越した。昭和55年から翌56年(1980-81)にかけての「五六豪雪」は平地部で4mに近い積雪があり、山間部では5mに達した。仙田でも5mの大雪であったことが語り伝えられている1)。『川西町史』(通史編上巻)に「町内の資料がやや少なく渋海川流域における様子が明確でないが、最深積雪量は標高により決定されるようである」と山間の仙田地区の積雪が多いことを推定している。町史より新しい資料2)『川西町克雪タウン計画-冬を快適に過ごすことへの工夫とチャレンジ』(1990年)には、昭和59年(1984)の町内各地区の最大積雪深の比較が載っている。これによれば川西分遺所345cm(2.11)、上野地区365cm(3.9)であり、仙田地区はいずれも4mを越え、高倉483cm(3.9)、白倉460cm(3.8)、小脇425cm(2.9,3.1,3.9)、仙田410cm(3.8)である。この年は平均よりやや多雪であったが特に多くはなかった。なお、括弧内は最大積雪深の月日である。

江戸時代の天保年間に刊行された鈴木牧之『北越雪譜』は当時の越後魚沼地方の人々が雪と闘うようすを詳しく描き出している。

今では、除雪ドーザー(1960 35年-)、除雪グレーダー(1971 46年-)、ロータリー除雪車など機械力、そして消雪パイプ、融雪溝など融雪施設の導入によって主要道路は除雪され、冬期にいわゆる無雪道路が実現するようになり、道路事情は昔とは大きく変わっている。1995年11月現在、町が保有する除雪機械の台数は、除雪ドーザー2、除雪グレーダー1、ロータリー除雪車11、小型除雪車1である。また道路除雪率に関しては、国道・県道・町道をあわせて1994年度で、除雪総延長303.3km、除消雪率40.0%、消雪パイプ延長20.0km、率6.6%である。このうち239.8kmをしめる町道の除消雪率29.7%、消雪パイプ延長9.7km、率4.0%であって、国道・県道にくらべて率が低い3)

また川西町では、多雪地域住宅計画(克雪タウン計画)を策定し、さきにあげた報告書『川西町克雪タウン計画-冬を快適に過ごすことへの工夫とチャレンジ』を刊行した。ここでは雪に負けない家づくりや地域づくりを積極的に展開する指針を示している。克雪住宅、つまり耐雪式、融雪式、高床落雪式など豪雪に対する住宅は、昭和50年(1975)前後から普及しだすのであるが、上記の克雪タウン計画は、行政と住民とがこの問題に積極的に取り組んできた始めての計画である。豪雪はこの地方の住宅のデザインや構造、地域景観とその計画にも大きな影響を及ぼしている。

今も雪はこの地域の人々の生活の上に非常に大きな比重をもってのしかかっている。克雪への悲願は、個人にも行政にも、古くて新しい課題であって、今も雪から逃げることはできない。

1)『川西町史』(通史編上巻、37頁 図19 56豪雪時の最深積雪分布/38頁)

2)『川西町克雪タウン計画−冬を快適に過ごすことへの工夫とチャレンジ』(1990年)

3)『第5次川西町総合開発計画/平成8-17年度』(1996年 p78)

 

川西町の位置と気候

川西町は、南から北に流れる信濃川の中流域に位置し、その左岸西側にある。町の形はほぼ四角形で、東西11.4km、南北11.9km、面積73.55平方kmである。周囲49.8kmで、東は信濃川を隔てて十日町市に接し、南は十日町市・松代町、西は高柳町、北は小国町・小千谷市に接している。緯度は東経138°46′58″-138°46′58″、北緯37° 08′26″-37° 14′03″である。

ここで取りあげる仙田地区は川西町の西半部、信濃川とほぼ平行して流れる信濃川の一支流渋海川流域に属する地域で、面積約38平方kmあり、町面積のほぼ半分を占める。この山間の地域は、町東半部の信濃川西側の河岸段丘に発達した千手・上野・橘地区とは関田丘陵によって隔たっており、西は関田丘陵と平行して連なる東頸城丘陵によって高柳町と隔たっている。同じ町内であるが両地区は地形、自然景観も大きく異なっている4)

 

 

 

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