第4節 別府温泉の現状
1【別府市の概況】
沿革
別府温泉について最古の記載は「豊後風土記」であり、古代から豊富な温泉資源に恵まれていたことが伺える。また、江戸時代の文献にも「静かな湯治場」として記載されている。明治時代には関西、四国航路及び日豊本線が開通し、交通機関の整備・発達により、全国的に湯治場として知られるようになった。大正時代には海岸一帯に旅館街が形成され始め、観光地として発達し、大正13年4月1日に別府町から別府市となった。その後、観光温泉地として現在の別府市の基盤を確立し、昭和25年制定の「別府国際観光温泉文化都市建設法」に基づき、基幹交通網の整備により発展を続けている。
今日、西日本最大級のコンベンション施設・ビーコンプラザの開設以来、従来の温泉依存の観光から「日本一の応接間を目指す」新しい魅力ある国際観光温泉文化都市づくりを官民一体となって進めている。
人口及び世帯数(平成10年4月1日現在)
126,218人(男性57,268人、女性68,950人)、55,217世帯