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調査団の構成

 

派遣団員 辻守康(杏林大学医学部熱帯病・寄生虫学教授)

 

調査日程

 

1999年3月26日(金) 辻は12時45分成田発、エアフランス275便で16時45分パリ着。中央アフリカ共和国のヤヤ医師にホテルより電話連絡。パリ泊。

27日(土) パリでジュネーヴに出張していた厚生省結核感染症課の葛西専門官と会い、橋本イニシアティブについて打ち合わせ、23時00分にエアフランス884便に搭乗、飛行機材チェックのために出発が遅れる。

28日(日) 03時00分パリ発。予定の3時間半遅れで10時45分バンギー着。日本大使館の黒沢医務官、実久派遣員および保健省第一地方医務局長Dr. Yasipo、Dr. Yaya(以前に広島大学の寄生虫学教室に留学し、現在は中央アフリカ共和国バンギー大学医学部眼科学教室主任兼バンギー中央病院眼科部長で今回のカウンターパート)、Dr. Kobangue(同じく以前に広島大学の寄生虫学教室に留学し、現在は中央アフリカ共和国バンギー中央病院皮膚科部長)の出迎えを受ける。黒沢医務官の車と保健省より提供された車でホテルに11時45分着。バンギー発のフライトが遅れているためにホテルの滞在者が多く、予約をしていたがホテルに部屋がとれず、黒沢医務官宅で荷ほどき、今回の滞在が短期であることから予めDr. Yayaを通じて依頼してあったOrdre de MissionをDr. Yasipoより得て、直ちに黒沢医務官およびDr. Yaya、Dr. Kobangueとともに黒沢医務官の車と保健省の車に分乗して14時15分バンギー発。16時00分バンザ村着。保健大臣との面会の都合で30日または31日の何れかに調査に訪れることをバンザ村の看護夫と住民に説明して16時30分バンザ村発。18時00分バンギー着。エアフランスおよびエアアフリックの両便がバンギーを出発したとのことで、更めてホテルに部屋をリザーブして黒沢医務官宅で着替えをする。19時00分より飯沢参事官、黒沢医務官と共に川合大使に招待され、公邸で夕食会。22時に黒沢医務官に送られて医務官宅で預けてあった荷物を受取り、22時30分にホテル着。チェックイン。

29日(月) 独立記念日-中央アフリカ共和国の独立の父ボカンダ大統領が飛行機事故で亡くなられた日(Fete Commimorative du deces du President Fondateur de la Republique Centraricaine Bathelemy Boganda)で全国民が喪に服し、全官庁および商店が閉まる。大統領始め川合大使など外交官や政府の大臣などが式典に参列。ボガンダ大統領が死亡され、式典が行われた場所がバンザ村への途中であったために交通規制が行われ、バンザ村に出かけることが不可能であり、全く行動が出来なかった。09時15分にDr. Yayaが来訪、打ち合わせ。午後は以前より交流を持ち情報交換を行っているフランス人および現地人が衛生教育を行っているKm 5にある宣教師関係のForet ChariteをDr. Yayaと訪問して中央アフリカにおける笹川調査団と宣教師グループの医師と意見交換を行う。

 

 

 

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