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作品解説 片山杜秀

イベール「祝典序曲」

 明治政府は、日本独自の紀元として皇紀を定めた。皇紀元年は神武天皇即位の年とされ、その年代は、記紀の記述から西暦で紀元前660年と算定された。皇紀は西暦1945年の日本の敗戦まで、公式に用いられていた。さて、西暦1940年(昭和15年)は皇紀で2600年に当たっていた。政府はこの年を国威発揚の大イヴェント年と位置づけ、様々な「奉祝行事」を企てた。その中にはオリンピックや万博さえ含まれていた(が、どちらも国際情勢の悪化ゆえに中止を余儀なくされた)。そんな諸行事の中に、外国への「奉祝楽曲」の委嘱もあった。日本政府は、6ヶ国の政府に適当な作曲家の人選と委嘱手続きを委託した。しかし、6ヶ国のうち、アメリカは対日感情の悪化を理由にこれを拒んだ。結果、「奉祝楽曲」として集まったのは、残る5ヶ国からの5作品となった。それ即ち、R・シュトラウス(ドイツ)の「皇紀2600年祝典音楽」、ピツェッテイ(イタリア)の「交響曲イ調」、ヴェレシュ(ハンガリー)の「交響曲第1番“日本風”」、ブリテン(イギリス)の「鎮魂交響曲」、そしてイベール(フランス)の「祝典序曲」である。このうち、ブリテンの曲は、楽譜の到着が遅滞したのと、「神武天皇ノ神霊ヲ讃フル奉祝楽曲ノ内容ヲ有セザル節」が認められるとの理由から、演奏が見送られた。(但し、ブリテンヘの作曲料はきちんと支払われた。その金額は何と7,000円、今で言うと約1000万円だ。イベールもそのくらいだったろう。)というわけで、結局ブリテンを除く4曲が、西暦1940年12月14日、歌舞伎座で、特別編成の皇紀2600年奉祝交響楽団により世界初演された。イベールを振ったのは山田耕筰である。ジャック・イベール(1890〜1962)の「祝典序曲」は、彼が遺した数多くのオーケストラ曲の中で、おそらく最も格調高く、しかも強靭である。曲は、歓喜の情が込み上げるような序奏に続き、ただちにノーブルな主題による華麗なフーガを開始する。中間部ではサックスが甘い子守り歌風の調べを奏でるが、この調べは、反復・変型されていくうちにヒタヒタとエネルギーを増し、やがてフーガ主題が再帰して、圧倒的なフィナーレに至る。この曲は、1942年にミュンシュの指揮でフランス初演されたが、そのときオネゲルはこう評した。「この曲はJ・S・バッハのトッカータと比較できるであろう。これに極めて近いのである。堂々たる機構上の特色、テーマの表現力、オーケストラの書法についての絶対的な自信などによって、この作品は完全な勝利の印象を与える。」(訳・岡崎昭子)

武満 徹「ア・ストリング・アラウンド・オータム」

 1989年は、フランス革命勃発からちょうど200年だった。その記念作品として、その年の「パリの秋」音楽祭から委嘱され、同年11月29日、パリで、今井信子の独奏、ケント・ナガノ指揮のパリ管により初演されたのが、この「ア・ストリング・アラウンド・オータム(秋景色をたたむ紐)」である。武満徹(1930〜96)は、曲につき、こう述べている。「この作品は、主要な糸のような流れから派生する、さまざまな断片的な旋律動機によって織り上げられた想像風景である。独奏ヴィオラは、その秋景色のなかで、自然を観照する人間の役割を果たしている。私の音楽にもっとも深い影響を与えているドビュッシーとメシアンを生んだフランスの人々にこの音楽を捧げる山上記引用文中の「主要な糸のような流れ」とは、ミとラ、ファ#とシ、ラとレという3組の完全4度音程と、うとファ、ドとう♭という2組の短6度音程から導かれた、ミ、ファ#、ラ、シ、ド、レ、ファ、ラ♭という不思議な上行音階のことを指す。ここから、たとえば4小節目のフルートにあらわれ、以後あちこちに姿を見せるレ、ミ、ラ、ドという上行音型など、多彩な素材が導き出され、後期武満ならではの、耽美的な音の織物が紡がれてゆく。なお、タイトルは、「沈め/詠うな/ただ黙して/秋景色をたたむ/紐となれ」という大岡信の詩より採られている。


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