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看護記録と医療の質

看護記録とは一体いつ頃から看護の仕事として組み入れられるようになったのでしょうか。私は1937年に京都大学を卒業して医師になりました。京大付属病院や京都市立病院,大阪の北野病院などで診療に従事しましたが,その時には確かに医師の書くカルテのほかに,看護婦が看護記録を書いていました。しかし,それはあくまでも看護業務の引き継ぎのためだったようです。上京して聖路加国際病院に勤めたのは1942年,それ以来今日まで何らかの形で聖路加国際病院と関わってきました。

 聖路加の看護は,当時からたいへん高い評価を受けていました。それは創設者であるアメリカ人の宣教医師ルドルフ・B・トイスラー先生の理念によるものでした。1902年の病院開設に先だって,荒木いよという看護婦さんをアメリカに留学させ,現地の看護をつぶさに体験してもらい,それをそのまま聖路加に導入しました。また,1921年には聖路加国際病院付属看護婦学校を付設しましたが,この学校は日本で初めて高等女学校の卒業生を入学資格に謳った専門学校で,アリス・セントジョンという優秀な指導者をアメリカから呼び寄せて教育に当たらせたりしました。

 私が聖路加の看護は確かに素晴らしかったと実感したのは,6年ほど前,病院が新しくなったために地下室にしまわれていた古いチャートを整理する必要から,それを見ていたときのことです。たまたま小児科の看護記録が目に入りました。そこには,「Aちゃんは強制されないで夕食を全部食べた」と記載されていたのです。子供には,「全部食べたら,おもちゃを買ってあげるからね」とか,「いい子だから全部食べようね」とかとかく誘導しがちです。みなさんも思い当たることがあるのではないでしょうか。それを記録には,きちんと"強制されずに"と書いてある。
ここからわかる医療情報は実に大事なものです。はたしていま,みなさんが書いている看護記録はここまで触れられているでしょうか。

看護記録とPOS

 1994年8月5日の厚生省の通達(保険発第100号)には看護記録について以下のように記されていると,聖路加看護大学の岩井郁子先生は記しています。

 「新看護体系,基準看護並びに特定看護の承認基準としての記録

 新看護,基準看護または特定看護の届出を行った病棟においては,看護体制の1単位ごとに次に掲げる記録がなされる必要がある。ただし,その様式,名称等は各保険医療機関が適当とする方法で差し支えない。

 

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