このように規模が大きくなり、近代化されていったカールスルンドはストックホルム県では中心的な総合施設となっていきます。
そして、それまで市によって運営されていたカールスルンドは、1971年にはストックホルム県によって引き継がれ、県全体で運営される施設となりました。多くの建物が作られ、近代化されていった大きな施設カールスルンドは、一方で“知的障害をもつ人たちもできるだけ地域で住むべきだ”というノーマリゼーションの風の中で、その存在が疑問視されてきます。
1968年に「精神発達障害者援護法」(「旧援護法」)が施行されてから、カールスルンドで生活する人は年々減るようになります。それは、「精神発達障害者援護法」がノーマリゼーションに基づいたものであり、カールスルンドにおいても徐々に地域のグループホームヘ職員ごと移り住むようになってきたからです。いつしかカールスルンドは、知的障害をもつ人たちが施設からまちの中へ移っていくときのモデルケースとなっていました。
そうして、1970年代の初めから具体化され始めた施設の縮小と地域援助システムヘの移行に成果があったことにより、1976年ストックホルム県はカールスルンドの全面的解体の方針を決定したのです。この当時でカールスルンドには354名の知的障害をもつ人たちが生活していました。
1978年、施設解体のために編成されたプロジェクト・チームはストックホルム県の方針に基づいて、施設で生活している人たちの地域への移転計画を発表しました。
このような大きな施設解体のプロジェクトはスウェーデンにおいて、また世界においても初めてのことだと言われました。当然、施設で生活している本人、その家族、施設で働いている職員など施設にかかわる多くの人は、解体によってもたらされる影響を心配しました。