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知的障害者福祉研究報告書
平成8年度調査報告


第2章 国内調査

1 地域生活援助ヒアリング I

(社福)さざんか会ゆたか福祉苑 NO.1

社会福祉法人さざんか会ゆたか福祉苑
苑長 宮代隆治氏
訪問日:平成8年10月15曰(火)
所在地:千葉県船橋市車方町400番地
参加者:日本財団 小町
    テレヒマンユニオン 池田
     福祉開発研究所 宮森(敬称略)




1 「社会福祉法人さざんか会」について

船橋市の親の会(育成会)が母体となって作られた法人。全日本育成会が昭和27年、市川市育成会が昭和28年で、船橋市は昭和29年という草分けの時代であった。昭和31年、まだ施設のない時代にお寺の敷地を使わせてもらい通所更正施設「京葉学園」を作った。その運動の母体は親たちで、親たちの力が行政を動かしていった。
昭和32年、千葉県より財団法人京葉学園が認可され、昭和47年に国より社会福祉法人京葉学園の認可を受けた。
昭和36年行政が入所施設を開設したが、入所できない人が多かった。昭和47年頃からは児童数が減少し、児童の通園施設に空きが出てきた。その頃から養護学校を卒業する人たちが増えてきたことから、昭和58年「京葉学園」は施設種別の変更を行い、通所更正施設となった。法人名称は昭和49年に「さざんか会」に変更した。

2 「ゆたか福祉苑」について

社会福祉法人さざんか会は、入所更正施設「北総育成園」を船橋市から運営を受託、昭和61年には小規模福祉作業所「さざんか作業所」を開設したが、定員19名はすぐにいっぱいとなり、船橋市から土地(870坪)の提供を受けて、平成3年通所更正施設「ゆたか福祉苑」を開設となった。
現在の土地探しには4〜5年かかった。また、ゆたか福祉苑の開設により小規模福祉作業所を止めるかどうかも議論となったが、2名の利用者の人の「ここが良い」という意見から続けていくことになった。今は本人たちの働く意欲を向上させるものを行ない、給与も1〜2万円支払えるものとするために、内職的作業を4〜5種類行っている。
知的障害を持つ人たちの日中の生活の場は、その人に応じた場所を提供する必要がある。そのため、通所施設は障害の重い人が中心にあるべきと考える。ゆたか福祉苑では定員70名であるが、内職的作業(生産)のできる人は10名程度である。

建物は2階建てで建設費は3億6000万円かかった。国・県の補助の他、県単補助、市の補助、事業団借入(利子も含め県と市が返済)の他、設置者が4千万円を捻出しなければならず、会員270名から一人5万円程度の寄付を仰いで1000万円程度を作り、残りは親の会に一人50万円程度を借りて資金を作った。

3 これからのニーズ

船橋市には、通所更正施設が他に「大久保学園」、「光風みどり園」がある。近年、養護学校を卒業しても1〜2名程度しか就労できないことから、卒業後も福祉的ニーズが高い。市川市・千葉市・柏市・松戸市は公立公営施設が多いが非効率であり、毎年小規模福祉作業所が1つづつできている。今後は、通所施設も分場か増築かの判断が大切だと思う。
入所施設も高齢化の問題が大きくなり、重度重複障害で重症の人たちに対して、身障療護的な役割に変化している。北総育成園も5年後は今後どのように考えていくかは問題になる。
これからの方向としてグループホームや生活ホームがあるが、グループホームも障害の重い人たちを対象としたものが必要になる。国のグループホームは段階的に変化せざるを得ないだろう。最初は就労条件をはずせないと言っているが、時間の問題だと思う。私たちのグループホームの考え方は、障害が重いから入所施設ではなく、親の負担を減らすために第3者へ移行する形と考える。


4 グループホームについて

グループホームは親から信用されていない。しかし、コロニーを作った時もそうだが、これまでは当事者の意見を聞いていなかった。人は成人になれば親から離れるのが普通で、いつかは親から離れる。本人に言わせることが必要だと思う。当事者から意見を聞けば勝負はついている。これからは特別な扱いや枠を設けてやっていくのではなく、住み続けていくことで実績を作ることが必要と思う。
さざんか会ではグループホーム「長尾ホーム」の運営を受託している。これは、長尾さんという、長男の方が知的障害を持つ母子家庭のおかあさんが、ご主人の遺産で自宅を改装し、グループホームに作り替えて提供していただいたものだ。長尾さんはグループホームの家が出来上がるのを見ずして癌でなくなってしまったが、病の床から電話で建設の打ち合わせをされていた方だった。亡くなる前に、我々に「息子をよろしく」という言葉とともに、グループホームという財産とそれに掛けられた心をいただいた。
今は息子さんとも合わせて6人の方がこのホームに世話人の方とともに住んでいる。世話人の方も育成会の会員の方で、知的障害を持つ娘さんも一緒に暮らしている。開設の際、入居者の方たちの両親たちから了解をとった。家賃は20,000円、生活費は55,000円である。
世話人の方は初老の方たちが多い。先月9月に豊橋で地域福祉セミナーがあったのだが、その分科会では世話人の方たちの休みがちゃんととれている人はわずかだと報告されていた。今後は行政を動かすことが必要だ。それには家族が負担しても勝ち取っていく姿勢が必要になる。共同作業所の方たちはバイタリティーがある。例えば府中市の共同作業所の方たちや長野の長峯学園の福岡氏も頑張っている。

5 障害の重い人たち

県立施設には400人のスタッフがいるが、その人たちは浦島太郎になってしまう。公立公営施設には専門職がいない。配転で指導員になるために難しい人たちの対応ができない。以前、公立の授産施設から自傷行為の激しい人が「ゆたか福祉苑」に移ってこられた。我々は彼の自傷行為を認めて、いろいろな体験を通して興味を示すことを探し、居心地の良さを経験させていくことを行っていった。その結果、こちらに来てから2か月ぐらいの期間で落ち着いていった人もいる。

自分の目をたたくという自傷行為のある人がいた。右目は失明し、左目も視力が落ちてきていた。知的には軽い人で、IQは60ぐらい。中学生の頃からの関わりで、現在は22歳になっている。特殊学級では上級生であったため、両親は自活する道を考えて14歳の頃から指導し、彼は生真面目にそれに答えようとしたため、できないいらだちは自傷行為と母親への暴力という形になっていった。
彼は水泳大会で自由形の2位という成績を持つ。最初に無認可の作業所に行くが、パニックを起こしてしまうために母親が同行していた。次に入所施設のデイサービスを受けたが状態は同じだった。それから母親から私に「助けて欲しい」という電話があり、彼はあまり刺激の多い所は混乱を起こすことから、担当職員を決めて対応している。
彼は今「ワープロがしたい」が目がだめで長続きできない。せいぜい15分〜20分というところか。「水泳」をしていくことで人間関係を作っていくようにしている。若い女性が一緒に行くと意欲が出てくる。自傷は関係性の問題もある。

精神薄弱者福祉法は主語のない法律だ。我々は本人とどのような関係が良いのかをスタッフと話し合ったことがある。みんなは「仲間」とか「隣人」という言葉が「援助者」よりも良いということになった。援助がうまくいかなくても、人間なのだから「相性が悪い」ということもよくあることだと思う。

社会福祉法人さざんか会の歩み

昭和29年12月11日  船橋市手をつなぐ親の会(船橋市精神薄弱者育成会)設立
〃  31年 7月10日  京葉学園完成
〃  32年 1月21日  千葉県知事より財団法人京葉学園認可
〃  47年 3月 1日  厚生大臣より社会福祉法人京葉学園認可
〃  47年 3月15日  京葉学園新園舎完成
〃  47年 3月31日  財団法人京葉学園解散
〃  47年 4月 1日  千葉県知事より児童福祉施設「京葉学園」認可
〃  49年 3月30日  法人名称を「さざんか会」へ変更
〃  49年 4月 1日  精神薄弱者更生施設(入所)「北総育成園」を船橋市より運営委託
〃  58年 4月 1日  千葉県知事より精神薄弱者更生施設(通所)「京葉学園」認可
※施設種別変更
〃  61年 4月 1日  小規模福祉作業所「さざんか作業所」開設
平成元年  4月 1日  小規模福祉作業所「海神福祉作業所」開設
〃   2年 4月 1日  「北総育成園」定員増(50名から65名)
〃   3年 7月 1日  千葉県知事より精神薄弱者更生施設(通所)「ゆたか福祉苑」認可
小規模福祉作業所「海神福祉作業所」閉鎖
〃   4年 4月 1日  「ゆたか福祉苑」定員増(50名から65名へ)
〃   6年 4月 1日  小規模福祉作業所「グループきたなら」開設
〃   7年 4月 1日  「さざんか作業所」及び生活ホーム「さざんか荘」新築
生活ホーム「長尾ホーム」運営開始
〃   8年 4月 1日  「長尾ホーム」グループホームへ変更


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