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知的障害者福祉研究報告書
平成6年度調査報告  〜精神薄弱者福祉研究報告書〜


施設見学・ヒアリング記録

根来 正博氏(福祉施設「このみ」)

レスピット・ケアーサービスただいま実践中!
〜ファミリーサポートとしてのレスパイト・サービス〜 NO.1

根来正博
東久留米市 家族援護施設 このみ 代表

こんにちは。東京の東久留米から来ました福祉施設このみの代表をしています根来と言います。本日はよろしくお願いします。これから2時間ほどレスパイト・サービスについてお話しします。現在、ファミリーサポートとしてのレスパイト・サービスという言葉が広まりつつありますが、その現状をこのみの実践を踏まえてご紹介できたらと思います。途中15分ほどビデオでも紹介します。以前テレビ東京で放映されたものです。レスパイトという言葉がみなさんの耳元にも届くようになってきたと思いますが、もとは英語です。厚生省の心身障害研究班で、平成3年度にまとめたレスパイト・サービス基礎的研究と言うものがありますが、この中でレスパイト・サービスとは何かと言う事が書かれていますのでご紹介します。
わが国の福祉関係者の間でレスパイト・サービスあるいはレスパイト・ケアーという用語が口にされるようになったのは比較的最近のことである。しかしこの用語は障害児・者福祉分野の英語の文献にはかなり以前から使用されており、欧米で熟した用語、概念であると言えよう。この言葉を具体的にまとめてみると次のようになる。レスパイトの語源はラテン語のレスペクターンであり、古いフランス語のパイト、現代のフランス語のピットそれが英語のレスパイトとなった。なお発音はレスパイト。またはレスピットである。元の意味は振り返る、顧みるであり、リスペクト、RETROSTECTと語源を同じくする。転じて暫くの猶予、延期の許可、一定の期間の解放、苦役あるいは苦労から暫くの間解放し疲れを癒すことに用いられるとしております。辞書で直接引きますと余暇とか休息と言うように端的な日本語になっているものもありますが、そう言った語源からレスパイト・サービスという言葉を地域福祉サービスの普及のために北米カナダ、アメリカの方では特に使われているようです。これをもとに厚生省の研究班のほうで整理された言葉として「レスパイト・サービスとは障害児・者を持つ親、家族を一時的に一定の期間、障害児・者の介護から解放することによって日頃の心身の疲れを回復し「ホッ」と一息つけるようにする援助」と言うようにしています。
日本語の訳としてはまだ定説はありませんが、この後発行されたレスパイト・サービスについての「基礎的研究その2」では障害児・者介護家族支援事業という用語が使われています。
レスパイト・サービスに関心を持たれた方からどんな風にサービスが提供されたらレスパイト・サービスになるのかという質問をしばしばうけます。そのことについては次のように考えています。例えばグループホームは国がガイドラインで示したように、一軒の家に4〜5人で住んで世話人が一人配置されるといった具合に、ある程度サービスとして整理ができていますが、レスパイト・サービスについてはまだ形が定まっていません。サービスメニューで括ること自体に無理があるのではないかと思います。サービスを行う上で大切なことを、いくつかの留意事項としてあげることができます。
一つとしては、障害児・者が普段の生活を継続できることです。二つ目としては障害を持つ本人に主体性があることです。三番目としては親、家族が受入れ先を納得して安心して利用できることです。この三つの柱を地域ケアーのなかでの介護支援といった視点で成り立たせると、レスパイト・サービスのだいたいの輪郭が現れてくると思います。この事を現在の居住施設での短期入所の制度と照らし合わせて考えると両者が決定的に違うのは、本人の日常生活を主体的に継続させる点です。ですからこのサービスは地域の中で行わなければなりません。その地域については本人が生活しているエリアというように考えると分かりやすいのではないかと思います。
さらにレスパイト・サービスの特色としてサービスが二つの構造でなり立っている点に気付くことができます。レスパイトの主体は家族です。介護に当たる家族が肉体的な疲労で介護が難しくなっている時に、しばしの休息であったり、リフレッシュであったり、一時の解放であったりということでレスパイトが必要とされる訳です。このように預かる際の理由に制限の粋を持たないで親の都合に合わせて預かると言う事が必要になります。もう一つ大事なのは、障害のある本人の日常生活に即した所に援助があると言うことです。サービスの重要な要素である親の都合をカバーすると言うことが子供にとって不利益に働かぬように、親の都合で左右されがちな不安定な介護基盤を安定させていくという視点が大事で、親向けの視点、子供(本人)向けの視点、両方同じようなバランスが整った時に、このサービスが成り立つのではないかと思っています。先ほど言いました様に居住施設による短期入所と決定的に違うのは、短期入所は親の都合を引き受けることはできるが、本人の日常生活を充分に配慮できない、ほとんど配慮できないと言ってもいいのではないかと思います。
現在、厚生省の研究班の新たに組みなおされた班の中に自分たちも研究員として入り、今後レスパイト・サービスについて、ファミリーサポートの概念も含めて取り組んで整理していこうと思っているところです。例えば読売新聞でレスパイト・サービスのことが記事になったとき『障害児家族に余暇活動を』と言うような扱い方をされてしまって思ったのですが、このままではレスパイト・サービスで預けるとなると『何処かに出かけなくてはならない。』と言う錯覚に陥る方向に皆の気持ちが持っていかれてしまうのではないかと、懸念しています。
レスパイトする休息するという概念の中に、ただ預けることで問題が解消するといった視点だけではなく、例えば家族とでかける時に一緒に同行して、ちょっと介護して貰えればそれもサービスになると言う考え方を合わせて持っていることが重要だと思います。それは、家族にとって障害のある子は常に厄介者で、それを誰かが肩代わりするから家族の負担が軽くなると言うことになってしまうと非常にまずいんじゃないかと思っています。ですからこのホッと一息つくという言葉の前にもう少し事前の日常的な所でもこのサービスは取り組んでいると言うことを強調して扱わなければならないと思っています。
とりあえずレスパイト・サービスについての考え方はご紹介することができたのではないかと思います。現在、レスパイト・サービスについてはファミリーサポートの中のレスパイト・サービスというように考えています。
ファミリーサポートの考え方については、後半、詳しくご紹介します。
このみでは、レスパイト・サービスという言葉を知る前からこのサービスを行ってきました。今までにどんな実態でサービスを行ってきたかを紹介します。
このみは1982年の8月、ちょうど国際障害者年が始まった翌年に、東京の東久留米です。
最初は、市に補助金を貰おうと思い話しを持って行き、議会で請願は採択されました。市長を始め行政の担当の方からは『このみのような任意団体に、年間500万円も払う余裕も根拠もない。』と言われ、東京都に話を持ち込みました。都では作業所などが民間の任意団体でも補助金を貰っていますから、それと同様に緊急保護を地域で専門にやる施設に補助金をつけて欲しいといいました。この件についても、都議会では採択され承認されました。しかし、やはり福祉局の担当にいったら「非常に大事な事業だから、民間に任せて途中で放り出されては困るので補助金の新設は難しい。」と言われました。そこで今度は国に行きました。厚生省でなんとかならないかと担当官に聞いたところ『日本も広くて、君達が住んでいる都市部ばかりではないんだよ。グループホームのように、地方都市でも一律でやるということになると、地方の町村などは町で5〜6人しか障害児がいない。そこに専任職員がいて専門施設でと言う考え方はなかなか馴染まない。』といわれました。ことごとく壁にぶちあたってきました。たらい回しにされた揚句に、話を持ち込むべきところは最終的には、やっぱり基礎的な自治体である市町村かなと思っています。
これから先の事業の見通しは、いまもあまり定かではありません。とにかく利用家庭のニーズに応えると言うことでやってきましたので、これからもそのことを大事にしてやるしかないなと思っています。このみが応えてきた需要にはどんなものがあったかをお話しします。今まで、預かる際の理由に制限はしていませんがどんな理由で預かるのかの確認はしてきました。それは三つに分類できます。一つは緊急一時保護です。家族の病気、怪我、葬儀などの突発的な出来ごとによって一時的に介護が困難となった時の対応です。二つ目は生活援護と介護支援の領域に入るのですが、一つは介護者の生活上必要な時間の保障。介護に時間を取られ日頃おろそかになりがちな慶事や保護者会、出産など生活に必要な事柄で介護が必要な場合に家族に代わって介護し
ます。三つ目としてもう一つ介護支援の中で分類しているのが、日常的な介護困難への一時対応です。本人の成長に連れて生じる介護負担の増加や介護者の老齢化に伴う肉体疲労など日常的に膨らむ問題にたいして、介護者がちょっとした休息を取り入れて新たな活力を持って介護できるようにするとしています。この「ちょっとした休息を取り入れて新たな活力を持って」と言うところがレスパイト・サービスの「ホッと一息つける様にする援助」と重なり一致する所かなと思いレスパイト・サービスと名前を変えようかと思いました。
このみの基本
このみの基本は最初から整っていたわけではありません。とにかく考えながら作り上げていったものですからいろいろお母さんたちからお叱りを受けたり愛想を尽かされたりしながらも共に歩んできました。基本が充分浸透しているかと言われるとまだ難しい面もありますが活動を始めた当初よりは、かなり理解が深まっつているのではないかと思っています。このみの援助の基本となる考え方は活動を始めて7年目くらいにやっと文章化する事ができたので、それをご紹介します。
このみの活動の基本は在宅で生活する障害を持つ人や子供の家庭で何等かの事情で介護が困難となる場合に家庭で対応できない部分を側面から援助することにあります。援助の基本は次の通りです。
一つは、本人の日常生活に沿った対応をし、生活の質を大きく変化させない。これは学校・作業所などがあればそこに通えるように援助する。日常生活も事前に把握しなるだけ家庭で過ごしていたような時間帯で、お風呂とか食事とか本人の日常の生活リズムに合わせて行うと言うことです。
二番目としては家族の主体的な関わりを損ねる援助はしない。これについてはとにかく日常の生活の延長に自分たちは携わるわけですから、日頃どんな生活をしているのかということをかなり細かくうかがいます。とにかく困っているから預かってほしいと言うことではなく、地域での生活を家族と共に行うときにこの部分で不足しているから援助をしてほしい、と言う事を家族に主体的に決めて貰います。その様に発信して貰うとこちらの方でも援助を組み立てやすくなるわけです。
三番目としては家族関係が円滑となるようにし、援助が本人を家族の輪から外す一員となるような援助はしない、と言うことです。既存のサービスはとりあえず預けるということで本人の立場はどうあれ、家族は障害のある人がいなくなりさえすれば重荷から解放され何とか助かると言うような援助ばかりだったとおもいます。例えば、結婚式や葬式などがあるとそこに居ずらい状況があるので出席できない、同じ親族であるにも関わらず、本人は家族から外されてしまいます。葬式の場合、お父さんや同居のおじいさんおばあさんの場合でも、外されてしまうことがあって、かなり気になっていました。そこで、一緒に参列し、焼香とか出棺の場面では一緒に付き添って、それ以外のセレモニー的な場面では、側で遊んでいる。という事を行いました。そのことによって本人は家族としての立場が全うできるのではないだろうかと言うことで、本人が家族の輪から外れる援助はしないということを文章化しました。


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