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新替えした。第2次改造. 修理工事は, 6月19日から9月末日まで約100日間突貫工事で実施された。

昭和32年10月21日前年より19日早く本観測に向けて東京を出港した「宗谷」は, 12月31日頃より密群氷に包囲されたまま西方へ漂流を続けた。その後氷状はますます悪化したが, 昭和33年1月31日氷状好転の兆しが見えたので氷海を離脱した。この間南極本部からの要請によりアメリカの砕氷艦バートンアイランド号が救援のため接近していた。両船は翌7日会合し8日早朝から同号の先導で南進を開始したところ氷状が悪く第2次越冬隊成立のため努力したが, ついに機会に恵まれず第1次越冬隊を収容したのみで2月24日第2次越冬隊送り込みを断念した。本船帰国後調査の結果,左舷プロペラ4翼の内1翼が根元から折損しており, 舵頭材が左舷に10度35分振れていた。また,左舷中央部で前後3mに亙ってバルジの耐水外板がくぼみ, 肋骨が切断され, 肋骨と縦通材の熔接部も割れを生じていた。ビルジキールは氷海航行直前まで横揺れ減少に役立ち, 氷海航行後はすべて上方に折れ曲がって帰国し, 計画どおりであった。

 

3. 第3次改造. 修理工事

昭和33年4月学術会議は南極観測2年延長を決め, 政府に要望した。第3次南極観測では,第1次と第2次の航海から「宗谷」が確実にリュッツォホルム湾へ進入できる限度は,昭和基地から80海里までと考えられたので, それから先はシコルスキーS58型2機で最低12名の観測隊員と30tの資材を輸送する方針が定められた。南極観測参加国の中でこのような方法を採っている国はほかにない。第2次航海までのヘリコプター甲板は, 長さ21.5m,最大幅12.8mであったが, S58のローター直径は16.8mであるので, 甲板面積が不足する上に, 格納庫と後部マストがヘリコプター着船の障害物になる。そこで端艇甲板を後方へ延長して長さ23m, 幅17mの新ヘリコプター甲板を設け, その外周に1.5mの起倒式張出網を取付けた。後部マストは船首へ6m移設し, 格納庫を撤去し, 3番, 4番救命艇を舷側へ移設して, S58型2機を救命艇に囲まれて端艇甲板中央部に並列して係止し, 暴露のまま輸送することになった。1次, 2次の航海では, ベル47G型ヘリコプター用ガソリン500lを船首ガソリン庫内にドラム缶積みとしたが, S58は燃料消費量が大きく、所要量が6000lとなったため,給油能率と危険防止のため, 船首部に容積35m3のガソリンタンク2個を据え付け, タンクの中では海水の上にガソリンを浮かす米海軍方式を採用した。砕氷の際受ける外板損傷が直接ガソリンタンクと給油管に

 

 

 

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