12. レールは敷いた
今 子供達は宇宙への夢を拡げています。丁度40年前の子供達が「未知の白い大陸・南極」に夢と希望を持ち、大きな興味と期待を寄せていた様に。
しかし、南極はまだまだ未知の大陸であります。観測と研究が進められていますが、子供達が「宇宙」とともに、「南極」への関心を益々高めていって戴く様念願します。
「私たちの南極」は1956年の第一次から始まり、1962年・第六次隊の帰国をもって終わりました。
こんな話をすると笑われるかも知れませんが、第一次の時は、生きて帰れるか?という気持ちがありました。事実保険会社も個人的には契約をしてくれませんでした。
水使用の制約が厳しくなるということは、船乗りの常識。脱出出来ずに越冬となった場合、水の制限と相俟って使い捨てにしようと、百貨店で一年分の下着を購入した者。
甘党も越冬を覚悟して、アメ横まで行って一斗缶入りの菓子類を大量に購入して行った者。そして、遺書を残して出港して行った者もいると聞いています。
今では考えられないような話ですが、未知の世界に挑む者の不安と期待。何処へ行っても万歳・万歳で送られました。レールは敷きました。後は静かに観測を続けて下さい。しかし自然の怖さは忘れずに。福島紳君の冥福を祈り、最後にバードの言葉を捧げましょう「南極よ永遠に平和なれ…」