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焦れったさをヒンヒンと感じました。 ・以下厳しい状況を抜粋で…。

*2月17日 巨大なフローに進路を阻まれ、ブラッシュにより行足を阻まれ一進一退。航程遅々として捗らず5m進み一退、7m進み一退。爆破09.00 発動12.00までの航程0.4浬、時速実に0.1浬。可燃物の船外投棄禁止。

*2月19日00.30本船右舷水平線より天空にかけオーロラ。初見参なり。 20.00P.M待機直前に爆破せるフローの間をひとりスルスルと進み出す。爆破と当直20時間ぶっ続けの砕氷。顔の艶などある筈なし。

*2月23日 離岸した日に捕獲したエンペラーペンギンを解放、海水面に向かうと言う説を信じて…(本心 海水面はどちらにどの位の所にあるのか、ペンギンに教えて貰いたかった。荒天で飛行偵察が出来なかったため)

*2月24日 船上越冬・決意表明打電。「気象状況好転せず。極めて悪い状況下にあり。故に気・海象の許す限り「海鷹」を接近せしめ隊員をヘリで移乗せしめ、脱出を謀るも万一不能なる場合は全員越冬を決意せり」船長

脱出・移乗組の携帯品重量3kgに制限。皆 観測資料や研究資料などを主に携帯するよう準備していましたが、「俺は船に残る。俺の代わりにこのフィルムを頼む」と申し出たのは公式記録の撮影を担当していた隊員・日映の林田カメラマンでした。御覧になった方もあると思いますが、昭和32年第一次南極観測の記録映画として発表上映された「南極大陸」と言う映画のフィルムだったのです。「自分は残っても記録だけは日本に届けて欲しい」今も引き継がれている報道記者・カメラマンの、記録に対する執念のような厳しさを感じました。

脱出できると判断し、トコトン頑張ったが脱出出来なかった。越冬に必要な暖房用燃料までも消耗し、生命を維持することも出来なくして終ってはいけません。早めに見切りをつけることが生き抜く手段と言えましょう。

ビセットされた際、水圧に押されて船体は氷上にせり上がる設計と聞いていました。しかし船体は傾斜(ヒール)し、舵や推進器は予想通り相当のダメージを受けました。前例として昭和14年 日本のキャッチャーボートが3隻ビセットされ、2隻は氷圧で船体が破壊(切断?)され沈没、1隻は700浬離れた所で発見されたと言うことを聞いていました。

*2月24日20.00急激に船体4度傾斜す。船底にフロー潜り圧迫す。

*2月25日船体の傾斜は約4.5度の儘復元せず。船底のフロー処置なし。

離岸後25日までに爆破11回。脱出移乗する隊員とともに、健康状態の危惧される者、家庭に事情のある者、特に保船に必要のない者等、若干の乗組員も移乗させる事も決定しました。ギリギリの局限に追詰められた時、人間は本当の姿を見せます。極地の海で本当に貴重な勉強をしました。

2月28日 16.00余す所4.5理。オビ14.30砕氷前進開始。1600「宗谷」の北方1.4浬に接近。23.45外洋に脱出。3月10日 ケープ入港。「外国の港とはいえこの度程沁み沁みと喜びを噛み

 

 

 

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