日本財団 図書館


すが、先程話しました「宗谷大学」での気象学講座の講義では……要するに大気の大循環であります。熱源は赤道付近、冷源は極地方。この間に対流が起こり、地球の自転と相侯って大気の大循環が起こります。大循環も南半球の方が活発です。

その理由と言いますか、北半球と南半球の違いは海陸分布の差にあり、北半球では海の面積は60.9%、南半球では80.9%、特に45度〜60度の間は98.3%で、摩擦が少なく低気圧の発生が容易となります。

また、冷源面積の差は南極大陸 13613000Km2

グリーンランド 1/6

気圧の差も、南半球は空気が少ないのか、極地方は南半球の方がはるかに低く、昭和基地は平均980hpaであります。

第一次の帰途 昭和32年3月4日 ローリング62度を記録しています。当時 随伴船の「海鷹丸」から見ていると「宗谷」が波間に沈んで見えなくなり仲々見えてこない、心配して見ていると暫くして姿を現す。矢張り浮いていたのだなぁと判ってホッとした。というような話しをよく聴きました。こちらから見ていても同じことで、「宗谷」より小さい「海鷹丸」も波間に入って見えなくなるとハラハラしたものです。

それにしても良く揺れた船でした。出港後 寝たままで食事を殆ど取らない隊員も1〜2いましたが、インド洋を渡るころは、長い船旅は初めてという隊員もよく慣れて、ひとかどのシーマンのようになりました。南極新聞に「宛てアメリカ・アナポリス海軍兵学校 船酔い訓練用に「宗谷」売ります。観測隊」という広告?が出た位。慣海性を養うには絶好の船でした。

暴風圏で揉みに揉まれて苦闘が続いている内に、海水温度が徐々に下がり小雪がちらつき始めると、見張りを強化し全船「眼」と化します。

氷山に対する警戒です。レーダー・ソナー等もフル稼動ですが、矢張り人の眼が最も頼りになります。檣上見張員の責任は重大です。

通常53度付近で氷山に遭遇すると教えられ、その後の経験からも53度線は厳戒線であり、新人にとっては氷山との御対面に胸踊らせる線ともなり、ベテラン隊員・乗組員にとっては、また違った意味を持つ線ともなりました。

第一次では昭和31年12月29日ケープタウンを出港、6日後の昭和32年1月4日 南緯53―30で第一号氷山を発見しました。

発見者は檣上見張りの久保甲板員、御褒美は船長賞〜清酒一升。因みにアメリカの御褒美は現ナマで10ドルとのことです(艦内禁酒のためか?)

暴風圏を突破し、氷山群を抜け、暫く氷縁に達します。パックアイス周辺を遊弋し、ヘリコプターを飛ばし氷状を偵察しながら氷海への進入時期をうかがいます。

第一次・昭和32年1月7日 氷縁に到達、遙かにエンダビーランド上に南極大陸を仰いだ時の感激、正に感無量。夢にまで見た南極大陸の姿がそこにありました。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION