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東海大学出版会から高橋正征・古谷研・石丸隆監訳で出された。この他に,1990年に西澤敏(編)で「生物海洋学-低次食段階論」が出されている。

生物海洋学の考え方は,文部省科学研究費の特定研究(研究代表者:丸茂隆三)で利用され,「海洋生物過程」として1980-82年に150余名の研究者が参加して,この分野としては超大型の研究計画として実行された。これは,研究費の大きさはもとよりのこと,生物だけではなく化学や物理,果ては海洋工学の研究者まで巻き込む幅の広い研究を可能にした。と同時に,生物海洋学という学問的アプローチを関係者に強く意識させることにもなった。

ただ,生物海洋学は新しい概念のために,仕組みがはっきりと決ってしまっていて変更の難しい日本の大学や研究所では,教育の中に取り組むことが難しかった。理学部では生態学が関係のもっとも深い分野であるが,既存の生態学の研究と教育が固定していて,ごく一部を除いて新たに入り込むことはできなかった。植物分野では陸上植物を扱う研究室の一部で海洋生物が取り扱われたという状態で,就職先も著しく限られていたために,後継者の数も少ない。動物分野ではさらにマイナーな存在である。臨海実験所などで磯を中心に,主として海洋生物学として研究された。水産学部でも同様でごく一部の,例えば水産環境,微生物,餌料などの分野で生物海洋学の取扱があった。研究所でも事情は同じであるが,研究面ではプランクトン,微生物,有機地球化学などの研究室で生物海洋学的アプローチが一部とられ実績を上げた。

1965-74年の10年間に行なわれた国際生物学事業計画(International Biological Program,IBP)の中で,生物海洋学的現象も着目され,世界各国の関連研究者が参加した。ここでは各栄養段階の生物量と生物生産が地球規模で見積られた。成果は今でも広く使われているが,中でもよく利用されるのがWhittaker & Likens(1975)のまとめた結果である。その後,国際海洋10カ年計画(International Decade of Ocean Exploration,IDOE)が企画され,生物海洋学分野では生態系の働きの解明に人々の努力が注がれた。さらにこれはオーシャン・フラックス計画(Joint Global Ocean Flux Studies,JGOFS)から,続いて国際地球圏生物圏事業計画(International Geosphereand Biosphere Program, IGBP)へと発展し,現在に到っている。その間に,南極海域ではバイオマス計画(Biological lnvestigation of Marine Antarctic Systems and Stocks, BIOMASS)などのプランクトンを中心とした研究も実施された。しかし,日本では研究環境の不備や研究者層の薄さなどから,国際的なプロジェクト研究での役割分担が年を追うごとに次第に難しくなっていったという状況がある。日本海洋学会は現在2000人を越える会員を擁してはいるが,年2回行なわれる研究発表会のプログラムを見ると,内湾などで小船で実施した研究が圧倒的に多く,特に生物分野ではそれが著しい。つまり,組織的な取り組みのできるところが少なく,湾外の広い海洋に出ていく手段を持つ研究者が少ないためである。

 

「生物海洋学」のこれから

20世紀の世紀末を迎えた現在,地球環境,食糧,人口など,社会は様々な大きな問題を抱えている。これらを解決するには,海洋を含めて地球全体で考えて行く必要がある。その際,生物海洋学の果たすであろう役割の重要性は衆目の認めるところである。しかし,実際には教育・研究環境は極めて心細い限りである。特に,日本では先に述べたように教育・研究の機構で既存概念が強すぎるという根本的な問題を抱えているために,生物海洋学のような新しい概念を受け入れる素地が乏しい。さらに,生物海洋学を支えてきた水産学は,このところの水産業の元気の無さからの影響が大きく学問としての地盤の安定さに不安がある。

昨今,省庁の統廃合が叫ばれている。海洋の重要性を考えると,海洋の問題を一括して担当する必要性が強く感じられる。そのためには海洋省を新設して海洋への取り組みを一本化するとか,そこまでいかなくとも海洋全体が眺められるような仕組みが行政としても必要である。教育と研究も,海洋をまとめて全体で考えてみたらどうだろうか?たとえば,東京水産大学と東京商船大学が一緒になって東京海洋大学とし,水産と海運だけでなく,海洋の工学や基礎科学なども充実して海洋全体の教育と研究をより活発に展開できるようにすることである。

水産業のこのところの凋洛の主な原因は先にも触れたように,水産生物を探したり,罠で集めたりして,捕ることにのみ努力を傾けてきた結果である。栽培漁業が工夫されたが,実体は水産生物の稚仔の放流である。放流先が自然の生態系であるので,人工種苗の生き残りは必ずしも良くなく,放流実績の上がったものはきわめて限られている。こうした取り組みの背景には,水産資源はとにかく捕ることに注目されていて,生きて行くための食糧を育てて確保するという考え方が全く感じられない。そこには,無意識の内に生物を鉱物資源と同様に考えているように見える。水産業が最も力を注ぐべきところは,いかにして水産生物を育てて行くかで,そのためには稚仔を放流することではなく,その前に放流した稚仔が食べていかれるような環境造りである。放流稚仔の食い扶持を考えなければならない。

 

 

 

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