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という記録があるから,磁針で方位を見るという技術は早かったかも知れないが,室町期末の千石船には使われたという。ポルトガル由来かどうかは不明である。

南蛮や和蘭由来の科学技術をここですべて検討するわけにはいかない。1543年10月3日(天文12年8月25日)わが国の種子島に中国船が漂着して,3人のポルトガル人から火縄銃が伝来する。これが日本とヨーロッパとの最初の出会いであり,さまざまな文物の到来と共に,鉄砲は戦法と城郭建築を一変して,やがて戦国時代に終止符を打つことになった。アルメイダは,元貿易商で布教に専念するかたわら,豊後府内に病院を作って南蛮医術を初めて伝えた。また長崎開港の元を作った功績もある。同じ長崎の住人で詳しい経歴は不明だが,池田好運が1618年(元和4)に出した『元和航海書』は,江戸初期に書かれた南蛮航海術の手引き書である。

16世紀末の少年使節団とともにリスボン港から積み込まれた,二台の印刷機の詳細は不明である。帰国翌年から約二〇年間に亘り,九州の加津佐・天草・長崎と転々としながら,いわゆるキリシタン版をかなりの量印刷し続けるのである。これが朝鮮活字版の伝来の一,二年前であることは,明記されなければならない。朝鮮活字本と銅活字は,秀吉の朝鮮出兵の1592年(文禄1)に將絡が大量に持ち帰ったものである。江戸期を通じて木活字本が定着するのも,これらの影響であり,明治維新までの底流を創ったのである。また1600年にオランダの船で漂着したウィリアム・アダムス(三浦按針)は,洋式造船術を伝えた。この技術が母胎になって支倉常長の,国産洋式船による太平洋横断の慶長使節団という偉業につながるのである。

 

3-1-2 高度技術社会と海洋

先端技術の発達と普及によって到来すると考えられる,いわゆる高度技術社会において,海洋の意義と役割とはますます大きくなるであろう。

情報技術と運輸交通の発展によって,世界各国のいろいろな意味での結びつきがますます強くなって,いわゆるグローバル化が進むとともに地球が「狭く」なり,その有限性が強く認識されるようになると,地表の70%以上を占める海洋の意味も変わらざるを得ない。これまで海洋は,地中海や瀬戸内海のような内海inland seaを除けば,人間の住む陸地を囲む外部と考えられていた。それは人間の交通の障害であり,またそこから自由に魚などを獲ってきたり,あるいはそこに廃棄物を流し込んだりすることのできる,誰にも属さないほとんど無限に広がる空間と考えられてきた。

しかし現在では海洋は有限の大きさしか持たないこと,そしてそれは人類共有の貴重な

 

 

 

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