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シンガポールにもって行かれ、その2百万ドルの貨物は不法に売られてしまった。シャンコ船長は1992年3月逮捕され、長期の刑務所入りとなった。シャンコの兄弟のセシリオとその一味である4人は現在終身刑に服している。その後、シャンコ船長はマニラの非常に監視の厳しい刑務所から逃走を図った所を射殺されたと報告された。

 

乗っ取り発生は今やその全域に移っている。1996年11月ガソリン用オイルを積んだタンカーのスッチ号がフィッリプ海峡にあるホースバーグ灯台沖で乗っ取りを受けた。10日後にやっと岸に辿り着いた2人の航海技師を除いて、乗組員は船で漂流させられた。今日に至るまで、スッチ号がどうなったかわからない。

 

これらの事件では、海賊行為という行動様式を使って起こされる犯罪があまりに大犯罪であるために、海賊行為そのもの(船を盗む事)が重要問題には見えなくなる。

 

第6章3節その2 長期拿捕

 

これは従来の海賊行為と一番似ているタイプであろう。この場合船舶は航行中に捕まり、捕まったのが領海上であるか公海上であるかいつも明白とは限らないが、どちらにしてもあまり関係はないだろう。乗組員は制圧され、船の進む方向は変えてられてしまう。この船は何日間か捕らえられっぱなしで、その間に全貨物が降ろされ、最後に乗組員と船が開放されるのだ。

 

これは日和見主義的でなく、詳細にわたって計画される組織的な犯行である。このタイプの良い例はマルタ号で起きた略奪である。1990年8月、キプロス島の旗船マルタ号はバンコックからブサンへ航海中であったが、夜になって、タイとカンボジア国境沖で4人の厳重に武装した海賊に船を乗っ取られた。海賊一味は明らかにこの船が何処へ向かっているかと言う事と、船に積まれた2百万ドル分の錫板の詳細についてもよく知っていた。賊がこの船の9人の乗組員を制圧した後、航海は一風変わったものとなった。海賊達は航海中に煙突を塗り変えて、この目的のために持込んだステンシルを使ってVタイ号と変えてしまった。彼らはまた、ホンジュラスの旗を上げたが、奇妙な事に型を使って船尾に塗られた港登録は変えようとしなかった。

 

船は2日ほど南方に航行させられたが、その間乗組員は手錠をかけられて目隠しをされて地下に置かれたままであった。最後に船が錨をおろすと、岸辺人夫とフォークリフトを乗せた平底荷船が横付けにされ、夜のうちに2千トンの錫板がその荷船に荷下ろしされた。 全部の荷下ろしがすむと、船は北方に向かった。賊は2日後に北東マレーシア沿岸沖で、前の晩に薬を飲ませ人質に取った船長を乗せて、救命ボートの1隻で逃げた。残りの乗組員は開放されたが、無線はなく、バンコックに自力でかえるための半分ちぎれたタイ湾の大き目の海図があるのみであった。乗組員はこの苦い経験により心身共に疲れ果てた。

 

 

 

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