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「エコシティちば」をめざして

 

千葉市企画調整局企画課長

岡田 和哲

 

1 は じ め に

 

自動車・クーラー・カラーテレビが、「三C」あるいは「新三種の神器」と呼ばれて大衆化し始めたのは、30年ほど前のことと記憶している。千葉市内の乗用車(普通・小型)保有台数の推移を見てみると、昭和45年に約1万台であったものが、昭和50年には約8万台、昭和55年には約13万台と著しく伸びた。平成8年には30万台を超え、世帯数とほぼ同数になっている。

本市には、日本最大級といわれる加曽利貝塚をはじめ、縄文時代の貝塚が約110か所も分布しており、世界的にも稀な、貝塚が密集した地域である。

6千年も昔のこの地で、自然の恵みを享受しながら豊かな文化を育んだ先人達。そこから脈々と続く文明の歴史から見ればほんのまばたき程度の間に起きた、モータリゼーションの進展やエネルギー消費の増大にみられる経済社会システムの変容。先の読めない混沌の時代を生きていくなかで、将来の世代に、環境問題という負の遺産を残さないために、私たちは、何をすべきであろうか。

 

2 産業型公害から都市・生活型公害へ

 

千葉市は、緑と水辺に恵まれた豊かな自然環境のもとで、都市としての形成、発展の過程を歩んできた。

昭和20年に2度にわたる空襲を受け、中心市街地の約7割が焼け野原となったが、昭和25年以降、臨海部埋立地に製鉄所や発電所が進出し、京葉工業地帯の一翼を担うようになった。さらに、高度経済成長とともに、臨海部には食品コンビナートや、木材・自動車等の荷揚げ積出しをする基地が次々に整備され、内陸部にも鉄工業団地、印刷団地等が立地した。

このような急激な工業都市化に伴い、工場等から排出される汚染物質による大気汚染等の産業型公害が発生し、市民の健康被害も深刻化した。本市で

 

 

 

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