日本財団 図書館


008-1.jpg

鯨を中心にした町づくり

濱中 節夫(和歌山県太地町長)

 

紀伊半島の南部に位置する太地町は、熊野灘に面した人口4,056人、面積5,96平方料の小さな町である。

黒潮の流れるリアス式海岸は、雄大な景観と豊かな自然を育んできた。

ここでは古くから漁業が営まれていたが、1606年になると和田頼元が突捕法による捕鯨をはじめた。これが我国に於ける組織的な捕鯨のはじまりである。

その後、明治11年に古式捕鯨が終息するまで、住民のほとんどが、何かの形で捕鯨とかかわってきた。更に近代捕鯨が盛んになるにつれて、若者の多くは南氷洋に鯨を求めて進出していった。

江戸時代から現在に至るまで、太地は鯨と共に生き、鯨と共に発展してきた町である。

そうした捕鯨の歩みとともに、食・芸能・造船・技術など様々な鯨文化が生まれてきた。

しかし、IWCによる捕鯨禁止以降は、沿岸小型捕鯨が自主規制の中で細々と続けられているにすぎず幾つかの文化の継承は難しくなってきた。

昭和の後半まで、町の基幹産業であった沿岸・遠洋漁業や捕鯨の表退は、町の産業の主流を、漁業から観光へと転換させていったのである。

当時の先達の確かな見通しにより、昭和44年に「くじらの博物館」が建設され、昭和53年には、南氷洋で活躍した捕鯨船が陸上げされた。これらの施設に展示されている物品は、古式捕鯨当時から近代捕鯨に至る間、使用された諸道具や鯨の骨格、写真など多岐にわたっている。

このくじらの博物館や捕鯨船を中心にした地域を「くじら浜公園」と名付け、当町観光の中心として開発をすすめている。

更に、国道から町内の入日に、実物大のザトウ鯨のアーチを建設し、JR駅の壁面に鯨の絵を画き、観光桟橋の周辺には、鯨の尻尾のモニュメン卜と陶製の鯨の壁画を設置した。

また、歩道に「くじらの説明板」を埋め込むとともに、梶取崎から燈明崎までの遊歩道には、鯨の生態板を設置したが、この生態板は遊歩道から一望できる太平洋を、遊泳する鯨の種類や分布状況を示したものである。

なお、燈明崎には鯨の山見(鯨の見張り小屋)や古式灯台を建設し、古式捕鯨に使用した勢古舟も復元した。

こうした事業は、太地へ来れば、遊びながら鯨の勉強が出来る。鯨の事は何でも解る。そして、それが観光に結びつけば………という発想からのとり組みである。

観光客の入り込みに対処するため、幹線道路や公衆便所などの施設整備をすすめることは当然のことである。

事業を進めるに当たって、ふるさとづくりやさきがけの補助金をはじめ、国・県から多くの補助や助成をいただき資金として活用出来たことが事業推進の上で大きな力となった。

今後も、鯨にこだわり、鯨の文化を生かしながら、地域活性化を目指したとり組みを進めていきたいと願っている。

008-2.jpg

 

008-3.jpg

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION