日本財団 図書館


ついて否定的な見方が支配的な状況にある中で、ミャンマーにおける稲作発展への期待度は高くなっている、というのが現状である。

 

3 東南アジア3大デルタにおける水田灌漑開発と今後の課題

 

タイのチャオプラヤ・デルタにおける稲作発展を目的とした大中規模灌漑システムの開発は古く、19世紀末にはすでにラングシット地区で灌漑を含めた多目的水路の建設が行われていた。戦後、1950年代のチャイナート・プロジェクトを皮切りに、1960年代前半までに、いはゆる大チャオプラヤ・プロジェクトが施工され、60年代後半以降は、メ・クロン河の扇状地の灌漑を企図したメ・クロン・プロジェクト、デルタ上流部におけるプミポン,シリキット・ダムの建設などが実施された。この間、大中規模灌漑開発のフロンティアーが徐々に枯渇し、面積当たりの灌漑投資費用は急騰していった。その結果、中部タイにおける大中規模の灌漑プロジェクトは減少した。1956-85年の間における中部タイの新規大中規模灌漑面積は、150万ヘクタールと国全体の52%を占め、その6割が、60年代前半までに建設されたものである。80年代後半には、政府の灌漑開発予算も減少し、それ以降灌漑面積も停滞している(表4)。

このように、デルタ地域では、稲作のための新規の水資源開発が滞る中、80年代後半からの高度経済成長の結果、1990年代に入るころから、家庭用・産業用・工業用・商業用等の様々な用途の水需要が急増し、各地で既存の水資源をめぐる紛争が深刻になりつつある。注8)

デルタの中心地帯でもあるバンコク首都圏地域は、工業化や都市化が最も急速に進展した地域でもあり、水問題はこの地域で最も先鋭に現れた。デルタ地帯における灌漑稲作農業の場合、以前からバンコクの非農業部門との水利用の競合が生じていたわけであるが、バンコク首都圏における非農業用水への需要の急増により、デルタ流域内の競合が激化することになった。また、中部におけるチャオ・プラヤ・デルタから

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION