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このような事態を重く見た日本海難防止協会は、1959年(昭和34年)、60年(昭和35年)の2年にわたり、北海道地域の産学官の学識経験者を集め、「たら漁船の海難防止対策」として着氷による海難防止策の調査研究を行った。

この調査研究によると、1957及び1958年の9月から翌年4月までのふた冬には、71件のタラ漁船の海難が発生しており、その約7割にあたる50件が12、1、2月の厳寒期に起こっている、転覆や行方不明といった全損海難がこの厳寒期に集中していることがわかった。

そこで1960年1月には船体着氷試験委員会を発足させ、巡視船を活用しての実船による着氷試験が実施された。この試験はその後も継続され、1962、63年での再試験、さらには1963年から1967年までの報告による聞き取り調査へと発展していった。この間に集積されたデータによれば12隻の巡視船から260例という着氷記録が報告されている。

これらの報告書を整理すると、着氷は気温が-2℃以下、風速が5m/s以上で起こりはじめ、気温が-6℃以下、風速10m/s以上になると激しく着氷することがわかった。

この時の成果をもとに、着氷海域を行動する巡視船に対する復原性基準が定められたが、それは甲板上や壁面に50kg/m2の着氷量を想定したうえでも復原性が確保出来ることというものであった。

また、最近の情報では、気象庁函館海洋気象台が、1997年12月に、冬の波しぶきが凍ってできる船体着氷の発生率が、北海道の日本海側では太平洋側より5倍以上になっているとして、船舶関係者に注意を呼びかけている。これによると、1988年から1995年までの冬季間(12〜3月)に北海道周辺海域を航行した一般船舶21,078件のうち359件に着氷が発生し、月別では1月が203件、2月が98件であったと報告している。着氷の原因は、海水のしぶきによるものが9割で、着氷が総トン数の1から1.5割増すと船が転覆する危険性があるとしている。

 

(2)海外

一方、海外においては、1955年1月にアイスランドの北方90海里の沖合で、英国のトロール漁船2隻が相次いで沈没したが、この原因はいずれも着氷であると推定されている。これは、事故現場の海域の少し南にいたトロール漁船の船長が自分の船の着氷状況を「縄ばしごやマストは氷でふくれあがり、ボートとボートダビットはひと塊の氷になった。レーダ塔は上まで凍り、煙突も周囲を氷で覆われた。手摺りは氷の壁と化した。回転窓は凍りついて動かなくなり、操舵室の壁には厚さ4インチの堅い氷がついた」と証言していることによる。

その後も着氷海難は後を断たず、1965年1月19日にはベーリング海で4隻のソ連漁船が行方不明となり、たまたま幸運にも救助された乗組員1名は、「暴風は1月15日から始まり、激しい着氷の重みで船は少しずつ沈んでいった。私たちは全力を挙げて着氷と闘い、叩き落とそうと努めた。しかし着氷はどんどん大きくなった。私たちは疲れ果て、船は傾き始めた。着氷は、マストが水に着き、船が沈没するまで成長していた。私は氷片に掴まっていたおかげで救助された」と語っている。2)

英国のトロール船2隻の着氷海難による沈没事故がきっかけとなり、国際的にも着氷海難防止対策樹立の必要性が叫けばれ、会議体を設けて積極的な検討が行われた。 この問題はその後の市場変化を加味して広域的に対象を広げ、極水域を航行する船舶全体に対して安全を確保するための規則作りへと発展して、3)現在でも検討が続けられている。 

 

 

 

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