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MSRCは非営利的な油流出事故対応組織であり、その主要な対応機能は米国領バージン諸島及びハワイを含む米国の海岸地域に設置されている。MSRCは米国連邦政府及び州政府の規制環境の変化に伴って常に変化する顧客需要に対応して発展してきた進歩的な組織である。

現在のMSRCを理解するためには、先ず本組織の歴史、MSRCが創設される契機となった事故及び1989年以後に生じた変化について内外から眺めてみる必要がある。これは、海洋保護協会の会員を含む、顧客需要に対応するために起こったMSRCの発展過程を説明するのに役立つ。

 

海洋油流出事故対策株式会社の発展における重大な契機

MSRCの歴史は1989年3月のアラスカ州プリンス・ウイリアム湾における油流出に始まる米国の一連の事故の跡を遡ってたどるものである。多くの大災害事故の場合と同様に、この事故は、米国連邦議会において、米国の対応システムの設置のためばかりでなく、このような環境災害を防止するためにも立法化を促すことになった。この法律は1990年米国油濁法即ちOPA-90として知られている。米国議会がこの法律の条項について討議している一方で、米国石油業界もアメリカ石油協会 (API) を通じて業界全体として将来のこの種の事故の防止及び対応について何ができるかを見定めるために行動を起こしていた。

 

プリンス・ウイリアム湾油流出事故−1989年3月

プリンス・ウイリアム湾油流出事故は、MSRC及びその全国的な対応機能を創設する契機となった。この事故は、このような大規模な災害事故に対応できる業界としての能力に関して、石油業界の経営者に重大な問題を提起することになった。石油業界はアメリカ石油協会の援助のもとに、米国の現在の対応能力のみならず、このような油流出事故に適切に対応するために設けなければならない機能を調査するため対策本部を設置した。

この対策本部のメンバーは、アムコ社、アルコア社、アメリカBP社、シェブロン社、エクソン社、モービル社、シェル社及びテキサコ社の石油会社を代表する8人の上級役員で構成された。当時モービル社の会長であった、アレン・マレー氏が対策本部長をつとめた。 対策本部の目的は米国の現在の対応能力及び予防機能を見直すことであった。

対策本部はその調査結果をプリンス・ウイリアム湾油流出事故のわずか3ヵ月後に発表した。同報告書は、油流出による大災害事故に対処するための備えを米国一産業界及び政府一は有していないと明言した。対策本部は油流出による大災害事故とは、プリンス・ウイリアム湾と同規模の沖合油流出事故−約30,000t、又は地域の対応設備能力を超える油流出 (地域により30,000tより遥かに少ない場合もある) と定義した。対策本部の報告書には、流出防止プログラムに対する支援及び石油産業対応組織即ちPIROの設置等の勧告も含まれている。

 

石油産業対応組織 (PIRO) −1989年秋

1989年6月にその報告書を発表した際、対策本部はPIROの設置に関する勧告を行うための運営委員会も設置した。運営委員会の報告書が発表された1990年1月までに、PIROの会員は当初の主要石油会社8社から20社に増加した。又PIROは、人員、装備、船舶、訓練、保険及びその他の問題を検討するための種々の委員会を設置した。この委員会は、約75人の石油産業の各分野の専門家を含んでいる。運営委員会の報告書は二つの組織、即ち財政のための組織と運営のための組織を設置することを勧告した。運営委員会の報告書が発表された時点における、二つの組織 (MPA/MSRC) に対する5年間の見積りコスト

 

 

 

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