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石油連盟は1991年から大規模石油災害対応体制整備事業を開始し、油濁防除資機材の備蓄及びその貸し出し業務を行っている。この会議では、連盟の事業の概要と現状等について、本年初に発生したナホトカ号事故及び2年前のシー・プリンス号事故における貸し出し事例をご紹介しながらお話したい。

当専門家会議には日本側の石油業界から参加させて頂いているので、日本への世界からの石油の流れも全体としてご紹介したいと思う。

1996年で日本へは世界から2億8,000万t余りの石油が入っており、全体の15%程度に相当して、単独の国としてはアメリカ合衆国に次いで世界第2の輸入国である。また2億8,000万tの内74%に相当する2億1,000万tは中東地域からの移動である(表1参照)。

次に日本が輸入している原油について、地域別、国別に比率を見てみると、主として中東、それから東南アジアからのものが大部分で、中東ではアラブ首長国連邦を筆頭にサウジアラビア、イラン、カタール、クウエイト、オマーン、それに旧中立地帯と続き、中東全体で輸入量の81%、また東南アジアはインドネシアを筆頭に合計で11%の輸入量になっている。他にはアジアでは中国から5%弱、遠いところではアフリカ、ナイジェリアやガボン、アンゴラと言ったところからも少量だが輸入しているし、中南米やオーストラリアからも若干量が入ってくる(表2参照)。

このように実に多くの国から日本は石油を輸入しているが、おおよそどれくらいの距離を輸送してくるのかを次に見てみたい。まず日本に近い東南アジアからは、3,000海里あまり、中東はアラブ首長国連邦から約6,500海里、また中南米はメキシコから約6,600海里といったところである。これくらいの距離を運んで、日本には1年間に推定でVLCC換算約1,270隻のタンカーが入港している。つまり1日平均にすると約3.5隻のタンカーが日本のどこかの港に入っていると言うことになる訳である(表3参照)。このような客観的なデータからすれば、日本で大規模な油流出事故が起こる可能性もまた、確率的には高いということになる。

 

石油連盟は1991年に初めて大規模石油災害対応体制整備事業を始めたが、それに至る契機となったのは、やはりアラスカのエクソン・バルディーズ号事故であった。

1989年3月の事故のあと、IEAの閣僚会議、それからパリのアルシュ・サミットといった場で、日本としても国際貢献の意味も含めて油濁防除に一定の寄与をする用意がある旨の通産大臣の意思表明があった。事業の実施については、油濁処理について協力機構の経験を通じて実績のある石油連盟が実施主体として通産省からの補助金を受けてあたることになったわけである。

現在、海外に5ヵ所の油濁防除資機材基地があり、中東から日本へのオイル・ルートに沿って、アラビア湾湾奥部サウジアラビアのアル・カフジ、次いでアラブ首長国連邦のアブダビ、それからインド洋を越えてマラッカ海峡に面したマレーシアのポートクラン、シンガポール、さらにインドネシアのジャカルタという5ヵ所に油濁防除資機材基地を設置している。そして南シナ海、東シナ海を経て日本に至ると、南から沖縄、瀬戸内海の水島、四日市、千葉、日本海側の新潟、そして北海道の室蘭と日本国内に6ヵ所の基地を置いており、現在海外と併せて11ヵ所の基地を保有している。(図1参照)

基地や保有資機材の詳細に着いてはお手元のパンフレットを参照頂きたいが、いろいろな種類のオイルフェンス、油回収機類、それに一時貯蔵タンクや回収油バージ、照明器具等の資機材を保有している。海外の基地にも基本的な資機材として充気式オイルフェンス、堰式油回収機、ビーチクリーナー、一時貯蔵タンクを保有している。

このような資機材の保有と貸し出しの考え方を分かりやすく示すと図2のようになる。石油連盟の保有資機材がどのような場合に貸し出されるのか、借り主はどうすれば良いのかを、例えば中東から日本に至るオイルルートの国々に対して説明する時に理解してもらうための説明資料である。

 

 

 

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