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はじめに

 

1989年に起きたエクソン・バルディーズ号の油流出事故は、アラスカのプリンス・ウィリアム湾の海岸線に対して、又その結果として米国の油流出事故対策の機構全体に対して多くの重大かつ広範囲な影響を与えた。この事故は又、事故の減少、全世界の油流出の防止、流出事故の際の対応能力の向上を目標とするエクソン社内及び業界内の多くの新たな計画を成功に導いた。バルディーズ号油流出事故は米国の過去最大の海洋油流出事故であった。エクソン社の対応作業は、米国で、おそらくは世界で、平和時に産業界が実施した作業のうちでは最大級の動員量と認識されている。エクソン社は流出油に汚染された海岸線を浄化するために資材と人員を投入する費用を惜しまなかった。著名な油流出の専門家達は、主として1989年から1991年にかけて実施された作業のおかげで汚染区域は本質的に復旧したことを確認している。

現在、バルディーズ号油流出事故はこれまでになく熱心に研究されている。浄化作業では、過去の大流出事故で見られなかった技術が適用された。これらの適用技術の多くは、対応能力の向上を目指した現在進行中の国際的な研究計画の主題となっている。この論文は、浄化作業を支援する幾つかの技術的調査研究の調整をしたエクソン社内のある科学者によって執筆されたものであり、この流出事故の経験から得られた多くの教訓と進歩について、特に今日の油流出事故へのその適用方法について、まとめている。この論文では、対応と浄化のみについて述べる。エクソン社は又流出によって影響を受けた人体、地域、野生生物に対する強い影響を軽減するための多くの計画を発足させた。

 

流出事故の概要

1989年3月24日、125万バレル(196,000t)のAlaska North Slope(ANS)原油を積んだ全長300m(987ft)の最新式タンカー、エクソン・バルディーズ号は、アラスカのプリンス・ウィリアム湾にあるプライリーフに座礁した。この座礁により船の11個の貨物油槽のうち8個、5個のバラストタンクのうち3個が開放状態となり、およそ260,000バレル(41,000t)の殆どのANS原油が、事故発生直後の数時間の内に、海中に流出した。流出事故の現場は遠隔地にあり、主要な人口集中地から遠く、船や航空機でしか近づくことができなかった。その地域の油流出緊急防災計画にしたがって、初期の対応作業がAlyeska Pipeline Service Company社(バルディーズにおける海上ターミナルの運営者)と米国沿岸警備隊によって実施された。エクソン社は、アラスカでは余り操業していない。しかし社の人員は流出事故発生の当日に、およそ5,000km離れたテキサス州のメキシコ湾岸にある会社の主操業センターから集結し始めた。エクソン社は流出事故に関する責任を認め、遺憾の意を表明し、流出物の浄化を約束した。短い引き継ぎ期間の後、エクソン社は米国沿岸警備隊の連邦現場調整者(FOSC)の指揮のもとで行われる全ての対応作業の管理を引受けた。

この流出事故が米国の歴史の中で最大規模の事故であるにもかかわらず、流出油の量は世界の最大油流出事故の中では比較的少ないものであり、Cutter Information Corp.社が発行した最新のデータ表[3]によると53位に位置している。バルディーズ号油流出事故が注目され、あのように大規模な対応作業の対象となった理由は、海岸線への影響の範囲が広かったため(2,000km以上)であり、そして又環境面で敏感な区域で事故が生じたためでもあった。

現場に到着したエクソン社の社員は四つの優先任務を担っていた[8]。第一の迅速を要する優先任務はバルディーズ号に残っている100万バレル(約160,000t)の原油(積載貨物油のおよそ80%に相当)を抜き取ることであった。船はブライリーフに不安定な状態で平衡を保っていたが、エクソン社の専門家達は沿岸警備隊の隊員達と密接に連携して貨物全部を他のタンカーへうまく移すよう作業した。この事は後になって大きな成功と見なされた。特に、5mの高潮と激しい暴風雨にもかかわらず、負傷者もなく貨物油がそれ以上失われるこ

 

 

 

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