日本財団 図書館


1. ナホトカ号事故における初期対応

1997年1月2日午前2時50分頃日本海で発生したタンカー“ナホトカ"(13,175総t)の船体折損による大規模油流出事故は、翌1月3日折損した船首部分及び海上に大量の油の漂流が海上保安庁の航空機、巡視船により確認された。

船舶所有者からの要請を受けたサルベージ船は、1月4日2130現場海域に到着し、巡視船の支援を受けながら漂流中の船首部分の曳航を試みたが、船底を上にして海面上僅かに露出した状態で漂流しており、また海上荒天のため曳索をとることができなかった。

船首部分とともに漂流する油は、1月5日午前中には三国沖約40milの沖合にあって、北寄りの風によって圧流され、沿岸に接近する可能性が生じてきた。

巡視船等は、船首部分の曳航作業に併行して漂流油塊の防除作業を実施し、初期においては、回収ネットによる回収、油処理剤の散布、また1月5日にはヘリコプターによる油処理剤空中散布をテストした。

 

2. 油の漂流・漂着状況

ナホトカ号に搭載されていたC重油約19,000kLのうち、船体折損により切断部分に搭載されていた約3,700kLが瞬間に流出したと推定された。(その後の調査により、流出量は、6,240kLと推定された。)

海上に流出した油は、波浪によって一部は分断されたが、多くは厚い油層となって船首部とともに海流と強い北寄りの季節風に圧流され本州沿岸に接近してきた。

その後も日本海の荒天は続き、1月7日午前11時頃漂流していた船首部分が福井県三国町安島岬の沖合に漂着し、船首部分からの新たな油の流出が確認され、これらの油が近くの海岸に漂着した。

1月8日になってすでに流出し、拡散漂流した油も次々に福井県・石川県の海岸に漂着した。また、能登半島に沿って北上した漂流油は、1月20日能登半島の北側を越え新潟県佐渡島にも漂着、その後新潟県の本州側にも漂着した。その結果油による汚染範囲は、島根県から秋田県に至る1府8県に及んだ。

 

3. 油回収処理

油の回収作業は、海上漂流油の回収、海岸線付近の漂流油の回収及び岩場や砂浜に打ち上げられた漂着油の回収に大別される。

(1) 海上漂流油の回収

流出油は、島根県から秋田県の広い範囲に漂着したが、一方では漂流油は若狭湾沖合から福井県、石川県沖合を沿岸に沿って北上し、1月20日には能登半島北端から富山県、新潟県沖合に達し、海上の油の拡散範囲も広範囲になった。

1月2日の事故発生から1週間以上を経過し、その間波浪により攪拌された流出油は、水分を多量に取り込んだムース化油となった。上海で搭載した油の性状は、動粘度が、50℃137,46cSt(10℃換算約6,000cSt)流動点-17℃等であったが、1月5日採取した漂流油の粘度は、約1,232,000cSt(12℃)に達していた。

イ. ガット船

このように高粘度となった油の回収には、回収装置による回収よりガット船やグラブ船による掴み取り回収が効果的と判断されたので、これらの船舶を手配し、海上での漂流油の回収作業を実施した。

冬期日本海は荒天が続き、海上における作業は困難なため、日本海側の作業船は、冬の期間は殆ど太平洋側に移動しており、日本海側で回収作業に当てる作業船は、配船されていなかったため、グラブ船等は、瀬戸内海から5隻を用船し、回収作業に当てた。

回収作業は、ガイドフェンスを1船が曳航し、集められた油をガット船が回収する2船によるスィーピング方式を計画したが、荒天のため連携がとれないためガット船の単船回収とした。回収油水量は約1,000

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION