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親の遺産(土地・家屋)を利用したグループホーム

 

志賀象二((福)全日本手をつなぐ育成会 事務局長)

 

1. はじめに

 

知的障害のあるAさんは、父親と弟の3人で自宅に暮らし、小規模作業所に通っていましたが、突然父親が死亡したため、本人のみならず弟も施設に緊急一時入所する事態になりました。

父親は生前、2人が施設に入所できた場合、自分の所有している土地・家屋を、運営する法人へ寄贈するという遺言をつくり、弁護士に委託(信託)していました。

しかしながら、Aさんは父親の死後も自宅での地域生活の継続を強く望みました。ここに、Aさんの希望の実現に向けて、行政(市・福祉事務所)、依頼を受けた弁護士、地域生活の支援を行う機関、施設関係者、それに地域の人たちを交えて、取り組んだ実践例を報告します。

 

2. 地域で暮らしたい

 

平成6(1994)年秋、突然父親が亡くなったので、とりあえず、Aさんは入所施設の緊急一時保護制度を利用する事になりました。しかし、入所中いつも、「だれかお炊事をしてくれる人がいれば、家に住めるのだが。」と、住んでいた家に帰りたいとの強い希望をもっており、施設の職員に訴えていました。当時この施設の施設長であった私は職員とも相談し、また実際にAさんの状況や、家屋の状況を知るうちに、Aさんは必要な支援を受けながら、自宅で生活を続けることが十分可能であり、Aさんの自己決定を尊重する方向で何とかしたい、施設の不自由な暮しを続ける必要は無いと考えました。

私は、生前より父親から相談を受け、父親に弁護士を紹介したソーシャルワーカーとも相談して、何とかAさんの希望がかなえられるようにと様々な機関との調整に入りました。

福祉事務所の助言もあって、私たちは横浜市で障害者の地域生活を支援する財団法人横浜市在宅障害者援護協会(以下「在援協」といいます)を中心に、Aさんの希望を実現する道を探りました。

平成7(1995)年に入り、まず私たちは父親が遺言を依頼した弁護士と会い、Aさんの地域生活の継続に向けた強い希望と可能性を伝えました。その時、弁護士から上記のような遺産に関する説明を受けたのです。

そうした中で、私たちはAさんの希望を慎重に確認しながら、地域生活の実現に向け、遺産の家屋でグループホームを運営し、Aさんが地域の仲間と共同で生活するのがよいのではないかという提案をしました。福祉事務所や「在援協」のソーシャルワーカーが、Aさんに対して自宅で生活するためには、グループホームという制度を利用して、職員の支援を受けながら、気の合った人たちとの共同生活が可能であること、それが現状では最良ではないかということを懇切丁寧に説明しました。その結果、Aさんは自分の家に他人と暮らすことも含めて、これに同意し、弁護士もグループホームを居住サービスの一つとしてとらえ、この計画に同意してくれることとなったのです。折しも、Aさんの弟が他の施設に入所することとなり、この施設を運営する法人も加わって、Aさんの住んでいた家をグループホームとして運営する方針が確認されました。

 

 

 

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